だから僕は法律を

弁護士業界のありふれたことや、日々の法律ニュースなどを

【判例その他】個人的には丸部道九郎が好き

(約10,700字)

 

 

 

性犯罪方面で刑法改正がされたり経産省トイレ使用に関する最高裁判決が出たり、今年はジェンダー関係の動きが大きいなぁ…という感慨はもともとあったのですが、法令違憲の大法廷決定まで出て驚いています。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/446/092446_hanrei.pdf

 

 

 

 


…この種のトピックに関する自分の価値観の方向性、みたいなものに照らした判例の結論に対する感想、というものは(もちろん)ありますが。
法令違憲判決となると、それと同じくらい条件反射的に(いわば左脳をすっとばして)職業柄、

「ああ、勉強を継続しないと…(汗」

という焦りみたいなものを感じます。*1

 

 

 

 

 


法令違憲判決について

違憲判決*2には法令違憲判決と適用違憲判決とがあります。
前者は、法律それ自体を憲法違反であると判断するもの。
後者は、法律それ自体はOKだが、行政庁による具体的な処分は憲法違反だ、と判断するもの。
今回の決定は、日本国憲法下における12例目の法令違憲判決、ということになります。

 

1例目:昭和48年4月4日最高裁判所大法廷判決
(尊属殺重罰規定違憲判決、要旨「刑法200条は憲法14条1項に違反する」、平成7年法改正)

2例目:昭和50年4月30日最高裁判所大法廷判決
薬事法距離制限規定違憲判決、要旨「薬事法6条2項及び4項(これらを準用する同法26条2項)は憲法22条1項に違反する」、同年(昭和50年)法改正)

3例目:昭和51年4月14日最高裁判所大法廷判決
衆議院議員定数配分規定違憲判決①、要旨「公職選挙法13条、同法(昭和50年法律第63号による改正前のもの)別表第一及び附則7項ないし9項による選挙区及び議員定数の定めは、昭和47年12月10日の衆議院議員選挙当時、全体として憲法14条1項、15条1項、3項、44条但書に違反していた」、判決前年(昭和50年)定数是正)

4例目:昭和60年7月17日最高裁判所大法廷判決
衆議院議員定数配分規定違憲判決②、要旨「公職選挙法13条1項、同法別表第一、同法附則7項ないし9項の衆議院議員議員定数配分規定は、昭和58年12月18日施行の衆議院議員選挙当時、全体として憲法14条1項に違反していた」、翌年(昭和61年)定数是正)

5例目:昭和62年4月22日最高裁判所大法廷判決
(森林法共有林分割制限規定違憲判決、要旨「森林法186条本文は憲法29条2項に違反する」、同年(昭和62年)法改正)

6例目:平成14年9月11日最高裁判所大法廷判決
(郵便法免責規定違憲判決、要旨「①郵便法68条及び73条の規定のうち、書留郵便物について、郵便の業務に従事する者の故意又は重大な過失によって損害が生じた場合に、不法行為に基づく国の損害賠償責任を免除し又は制限している部分は、憲法17条に違反する、②郵便法68条及び73条の規定のうち、特別送達郵便物について、郵便の業務に従事する者の故意又は過失によって損害が生じた場合に、国家賠償法に基づく国の損害賠償責任を免除し又は制限している部分は、憲法17条に違反する」、同年(平成14年)法改正)

7例目:平成17年9月14日最高裁判所大法廷判決
(在外邦人選挙権制限規定違憲判決、要旨「①平成8年10月20日に施行された衆議院議員の総選挙当時、公職選挙法(平成10年法律第47号による改正前のもの)が、国外に居住していて国内の市町村の区域内に住所を有していない日本国民が国政選挙において投票をするのを全く認めていなかったことは、憲法15条1項、3項、43条1項及び44条ただし書に違反する、②公職選挙法附則8項の規定のうち、国外に居住していて国内の市町村の区域内に住所を有していない日本国民に国政選挙における選挙権の行使を認める制度の対象となる選挙を当分の間両議院の比例代表選出議員の選挙に限定する部分は、遅くとも、本判決言渡し後に初めて行われる衆議院議員の総選挙又は参議院議員通常選挙の時点においては、憲法15条1項、3項、43条1項、44条ただし書に違反する」、立法不作為による最高裁違憲判決は初、翌年(平成18年)法改正)

8例目:平成20年6月4日最高裁判所大法廷判決
(非嫡出子国籍取得制限規定違憲判決、要旨「国籍法3条1項が、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子について、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した(準正のあった)場合に限り届出による日本国籍の取得を認めていることによって、認知されたにとどまる子と準正のあった子との間に日本国籍の取得に関する区別を生じさせていることは、遅くとも上告人らが国籍取得届を提出した平成17年当時において、憲法14条1項に違反していた」、同年(平成20年)法改正)

9例目:平成25年9月4日最高裁判所大法廷決定
(非嫡出子法定相続分規定違憲判決、要旨「民法900条4号ただし書前段の規定は、遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していた」、同年(平成25年)法改正)

10例目:平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決
(再婚禁止期間規定違憲判決、要旨「民法733条1項の規定のうち100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分は、平成20年当時において、憲法14条1項及び24条2項に違反するに至っていた」、翌年(平成28年)法改正)

11例目:令和4年5月25日裁判所大法廷判決
(在外邦人国民審査権制限規定違憲判決、要旨「最高裁判所裁判官国民審査法が在外国民(国外に居住していて国内の市町村の区域内に住所を有していない日本国民)に最高裁判所の裁判官の任命に関する国民の審査に係る審査権の行使を全く認めていないことは、憲法15条1項、79条2項、3項に違反する」、同年(令和4年)法改正)

12例目:令和5年10月25日最高裁判所大法廷決定
(性別変更要件における生殖機能喪失規定違憲判決、要旨「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項4号は、憲法13条に違反する」)

 

 


無論、どの判例も承知はしていますが、こういう形でまとめてみたのは実は今回が初めてです。*3
というか気が付けば10例を超えていた感じです。いつの間に、という。

 

 

 

一例目の事件に関連して、同判決に至るまでにも刑法200条(尊属殺重罰規定)の合憲性が問題になった事案はあったらしく、例えば戦後すぐの昭和25(1950)年10月11日には、同じく最高裁大法廷にて、尊属殺加重刑罰は「人倫の大本」「人類普遍の原理」であるとして合憲判決が下されたそうです(14対1)。
まぁ、隔世の感はあります。法律論の用語としてこの種のフレーズが堂々と使われていたこととか、その他諸々*4。同合憲判決が出たのが今から70年ちょっと前であるところ、昭和25年(1950年)の70年前といったら1880年ですから、考えてみればむべなるかな。今の我々にとっての判決当時は、判決当時にとっては国会開設すらまだだった時代の話、ということになるわけですから。

 

 


ちょうど逆の視点のマンガ作品なんてものもあって。*5

これ、昭和29年を舞台にした物語で、LGBTQ+がテーマです。*6全9巻。で、マンガのラストが、

「いつか、この塔も朽ち果てて新しい塔に替わられる日もくるだろう。
でもその時には、僕らのような二人が、もっと自由に生きていると信じたい―」

というものです。
つまりは、(いま昭和25年判決を眺めるのと逆に)昭和29年から現代を照射する作品。

 

 

 

さて、その現代の12例目の法令違憲判決を読んだら、太一子とテツオの思いは、少しは報われるでしょうか。
はやひと月たってしまいましたが、以下、備忘録です。

 

 

判旨の骨組み、事案の概要等、問題の制度

判決文自体は36ページに及びます。ただし、そのうち10ページ目後半以降は各裁判官の補足意見や反対意見ですから、いわば『本体』は、9ページちょっと。
その『本体』部分の骨子を表題や柱書を抜粋する形で掘り出すと、次のようになっています。

第1 事案の概要等
第2 本件規定の憲法13条適合性について
 1 本件に関連する事実等の概要は、次のとおりである。
   …
 2 以上を踏まえ、本件規定の憲法13条適合性について検討する。
   …
第3 結論

以下、まず、上記のうち「第1」(事案の概要等)と「第2の1」(本件に関連する事実等の概要)を簡単に要約します。

 


事案の概要等

まず「第1」。最高裁自身による事案の超・要約は次のとおり。

特例法3条1項の条文がこちら。

3条(性別の取扱いの変更の審判)
1項:家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
 ① 18歳以上であること。
 ② 現に婚姻をしていないこと。
 ③ 現に未成年の子がいないこと。
 ④ 生殖腺せんがないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
 ⑤ その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

 

今回の抗告人の方は、1~3号には該当するものの、4号・5号には該当しません。*7つまり、手術をしていません。
そこで、これらの規定は違憲無効であり、手術を受けなくても性別変更の審判を受けられて然るべきだ、という旨主張したものです。

 

 

さて、このうち、今回の最高裁決定で問題となったのは4号のみです(この4号が、判決文中では「本件規定」と呼ばれています。)。5号については判断していません。
どうしてかというと、不服申立ての対象であるもともとの広島高裁決定が、4号についてだけ合憲だと判断して、5号については言及しなかったからです。
この点に関連するので、ちょっと先に「第3」(結論)の部分を見ておきます。

つまり、

  1. 当事者は、「4号も5号も違憲だ、だから自分は性別変更の審判を受けられる」旨主張した
  2. 広島高裁は、「4号は合憲だ、そして当事者は手術をしていないのだから4号の要件を満たしていない、よって5号の合憲性について判断するまでもなく当事者の主張は通らない」旨判示した
  3. 当事者は、その広島高裁決定に対する不服申立てとして、最高裁に特別抗告した
  4. なので、最高裁としては、不服申立ての対象である広島高裁の判断内容、つまり4号の合憲性について判断した
  5. 他方の5号に関する主張については、以上の次第のため、最高裁のみならず広島高裁も審理判断していない、そのため最高裁は、「審理が尽くされてないから更に高裁で詰めて議論しなさいね」、と言って事件を高裁に差し戻した

ということになります。

 

 

ところで、判決文36ページのボリュームのうち相当量は補足意見や反対意見に割かれている旨上述しました。すなわち、反対意見もあります。ちなみに3人。
しかしながら、この3人の反対意見は、「4号規定は合憲だ」、という趣旨のものではありません。

「4号規定のみならず5号規定も違憲なのが明らかだから、もはや差し戻しなど不要であり、破棄自判すべきである」

という趣旨のものです。

要するに、4号規定(本件規定)が違憲である、という結論については、最高裁判所判事15人全員の意見が一致しています。
重みがあります。

 

 

…既に横道に逸れているところでさらに蛇足になりますが、僕自身の備忘のため、民事訴訟法の条文を引いておきます。

336条(特別抗告)
1項:地方裁判所及び簡易裁判所の決定及び命令で不服を申し立てることができないもの並びに高等裁判所の決定及び命令に対しては、その裁判に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、最高裁判所に特に抗告をすることができる。
3項:第1項の抗告及びこれに関する訴訟手続には、その性質に反しない限り、第327条第1項の上告及びその上告審の訴訟手続に関する規定並びに第334条第2項の規定を準用する。
327条(特別上告)
1項:高等裁判所が上告審としてした終局判決に対しては、その判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに限り、最高裁判所に更に上告をすることができる。
2項第一文:前項の上告及びその上告審の訴訟手続には、その性質に反しない限り、第二審又は第一審の終局判決に対する上告及びその上告審の訴訟手続に関する規定を準用する。
325条(破棄差戻し等)
1項第一文:第312条第1項又は第2項に規定する事由があるときは、上告裁判所は、原判決を破棄し、次条の場合を除き、事件を原裁判所に差し戻し、又はこれと同等の他の裁判所に移送しなければならない。
326条(破棄自判)
:次に掲げる場合には、上告裁判所は、事件について裁判をしなければならない。
 ① 確定した事実について憲法その他の法令の適用を誤ったことを理由として判決を破棄する場合において、事件がその事実に基づき裁判をするのに熟するとき。
 ② 事件が裁判所の権限に属しないことを理由として判決を破棄するとき。
312条(上告の理由)
1項:上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。

準用規定は措いといて。
差戻しするか自判するかの選択については、326条に該当するときは自判「しなければならない」し、その場合を除いては、差戻し「しなければならない」。つまり、要件裁量はあっても効果裁量はない。
で、今回の場合は、「事件がその事実に基づき裁判をするのに熟する」と言えるかどうかで判断が分かれたわけですね。

 

 

 

本件に関連する事実等の概要

次、「第2の1」(本件に関連する事実等の概要)。細目次は次のとおりです。

性同一性障害について
⑵ 特例法の制定の背景等
性同一性障害に関する医学的知見の進展
性同一性障害を有する者を取り巻く社会状況等

多少、結論の先取りになってしまいますが、この箇所で、立法(4号要件が設けられた)当時に前提とされていた事情が今日もはや妥当しなくなっていることを浮き彫りにする、という作業がされています。

 

立法当時

…つまり、

  • 特例法は、"自己の性自認に基づく、社会生活上の性"と"生物学的性別に基づく、法的な性別"が異なる方の社会的不利益を解消する等の目的のために制定されたものである
  • 治療の最終段階(性別適合手術)を経ていない場合、未だ「自己の性自認に従って社会生活を営んでいる」わけではないから、その段階において生ずる問題は、法的性別との齟齬により生じる社会的不利益以前の問題である
  • したがって、手術を受けていない場合における問題解消は、差し当たり、特例法の解決すべき問題の範疇にはない

と考えられ、それゆえに4号・5号要件が設けられた、と説明されています。*8

 

 

 

特例法制定後の医学的知見の進展や社会状況等の変化

まず、医学的知見の方。

手術を受けていないことと、性別の不一致による症状の軽重、苦しみの程度は必ずしも直結しないのだと。
むしろ、「症状」と呼ぶことすら不適切なのだと。

 

社会状況等の方。

第3段落にある諸外国のお話は、上記医学的知見と同一次元の話ですね。
第1・第2段落のわが国の話はやや方向性が違います。要はLGBTQ+の方々が広く受け入れられてきているという話です。

 

 


違憲審査部分

で、本論。「第2の2」、違憲審査の部分。

下線ひいたところ。当事者の方々の状況を最高裁が正面から言語化した点に少し感動を覚えます。

「本件規定は、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせる」

「治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るもの」

権利に対する制約の認定で述べたことが、そのまま制約態様の許容性(過剰性)の当てはめに投影されている形ですね。

 


権利保障性、制約、基準定立

制約の認定のところ*9のロジック、少し特殊といえば特殊な内容になっています。
『身体への侵襲を受けない自由』とは別に、『性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けること』という『重要な法的利益』を措定した上で、後者『を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせる』(=前者の放棄を強制される)こと、つまり二者択一を迫られる点において前者に対する制約がある、という論理になっています。

 

ちょっとまどろっこしい気もしなくもないです。こうするくらいなら最初から

『身体への侵襲を受けることなく性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利』

を問題にした方がスッキリするし*10、より当事者の方の感覚にも沿うのでは、とも思います。*11

ただ、後から知ったのですが、『身体への侵襲を受けない自由』が憲法13条で保障されることについては、既に相当数の下級審裁判例の蓄積があるらしいです。代表的なのが、旧優生保護法国賠訴訟とのこと。
なので、そっちに揃えたのかな、と。まずは権利保障性をクリアすべきと考えた原告代理人の先生が揃えたのか、それとも最高裁が揃えたのか。
この点、原審(広島高等裁判所岡山支部令和2年9月30日)裁判を確認したかったのですが、裁判所の裁判例検索ページには掲載がなかったです。残念。

 

いずれにせよ、この判例は、一つには、制約の認定のロジックで特徴づけられるように思います。
まぁ正直、その後に述べられている審査基準は、いつもの最高裁節すぎて何も言っていないに等しいですし。*12

 

 

当てはめ

もう一つ個人的に思いましたのは、他方の当てはめ箇所、
「それまで認定してきた事実を、すごく綺麗な形で使ってるなぁ…」
ということ。司法試験答案のお手本みたいですらあります。

 

必要性事情の方。

社会状況等のところで認定されていた、LGBT+の方々が受け入れられてきているという話、薄らぼんやりとしか使われないかと思ったら、まさか、制約の必要性の低減という重要なポイントで活きてくるとは。

ちなみにここ、ロジックを畳み掛けていく中での最後のダメ押しっぽい書き方をしていますが、(多少意地の悪い言い方をすると)実は、最高裁自身の首尾一貫性を弥縫する上では不可欠な箇所でもあるんですよね。
最初の方に挙げられている論拠2つ:

説得力十分であり至極もっともな論拠なわけですが、これらは別に、社会状況の変化を反映したとかではなく、この問題内在的な話であり、要は、考えれば最初から分かってた事柄。
そうだとすると、これらの論拠だけで違憲性を根拠づけたら、「あんた、平成31年決定で合憲だって言ったのは何だったの?」という話になる。

なので、最高裁としてはあくまで、「いやいや、この数年の間に社会状況が変化したのも重要なポイントなんですよ」、という体を取る必要があり、そういう意味でも、上記変化の摘示は重要な意味を持っていると言えます。


他方、許容性(適合性)事情の方。

医学的知見の進展の話は、こっちで使われています。

「段階的治療という考え方の下では、(社会的混乱を最小化すべく)治療の最終段階まで至って初めて救済の対象とする、という考え方も確かにあり得た。」
「しかし、その段階的治療という医学的前提が崩れた今、未施術当事者を救済の対象外とすることは許容されない(合理的関連性を欠く)」
と。

加えて、当事者の方々が迫られる二者択一が苛烈であり、受忍を強制することが許容されるようなレベルのものではない、という趣旨のことも言っています。

先んじて認定した制約の態様をそのまま適合性事情で前提にして活かしているあたり、ほんと、三段階審査のお手本のような論理展開です。

 

で、違憲である、と。

 

最高裁憲法判断、もっとあやふやなロジックで煙に巻くイメージでしたけど、ここまでちゃんとロジカルに組み立てるとは。
これは、結論が違憲だからなのか、それとも事柄の性質上、特に気を遣ったのか。
あるいは両方か。

 

 


補足

「事柄の性質上、特に気を遣ったのか」、と書きました。経産省のトイレ利用の判決もそうでしたが最高裁、この種の問題には非常に気を遣っているように僕には感じられます。
で、この種の問題で近時いつも問題になる女性スペース云々のお話についてですが、上記でみたとおり、最高裁決定の『本体』部分では特に触れられていません。
それには2つ理由があって:

  • 1つには、本件で問題とされているのが"法的性別"(要は戸籍)の話であり、戸籍と公衆浴場等々は端的に無関係だからです。銭湯で戸籍を確認されたことなんかないでしょ、という話で。
  • 2つには、百歩譲って、仮にその種の問題が起こりうるとすれば、4号要件のみならず5号要件もが撤廃されてからのはずだから。女性スペース云々のご主張が問題にしているのは男性器の付いた方が女性スペースに入ってくる事態なわけですが、それはイコール、男性器除去手術を受けていない(5号要件を満たしていない)、ということなわけなので。

つまりは、二重の意味で無関係。

 

なので、決定本体は、このことに無駄に触れるようなことはしていません。
しかし他方、5号要件も違憲とすべきと主張する反対意見においては、3つのうち2つで、その問題について丁寧に論じられています。

 

三浦守裁判官の反対意見は、判決文10ページ~25ページにあります。とてもロジカル・緻密で、法律家的には非常に読みやすい文章です。
戸籍と公衆浴場は関係ないですよ、ということを丁寧に述べられてます(ちなみに、トイレはもっと関係ないですよ、ということも述べられています。)。
公衆浴場の方のオペレーションの背後にある法令関係は、今回初めて知りました。勉強になります。



もう一人、草野耕一裁判官の反対意見は、判決文25ページ~31ページにあります。
ここでも、厚労省の技術的助言等について言及の上、丁寧な論理が展開されています。

相当性の検討において「5号規定が合憲とされる社会」と「5号規定が違憲とされる社会」を比較対照している点が独特です。

 

 


…両反対意見とも、丁寧に論じてはいらっしゃいますが、身も蓋もなく要約してしまうと、

「5号規定の違憲性の検討においては(4号規定と比べて)論じるべき話が増えるように思えるものの、実際はそうでもない(さして関係ない)」

という趣旨を述べているように思えるし、僕個人としてもそう思います(だって繰り返しますが、戸籍の取扱いの話ですから。)。
実際、宇賀克也裁判官の反対意見(判決文31ページ~)では、公衆浴場の話には触れられてすらいません。*13

 

 


それなのに、最高裁が敢えて差戻しした意図は何なんだろう、というのは少し気になるところではあります。

 

 

 

 

 

 

 

*1:いやまあ、それはもちろん、通常の最高裁判例だろうと同じですけどね。あと法改正も。

*2:慣用的表現であり、決定も含む。上記表題及び以下同じ。

*3:時期もバラツキがありますね。平成の初めなんか全然出てない。

*4:親へのリスペクト自体を否定しているわけではないですので念のため。それと、判決原文を読んでみると、最高裁の方から大上段の修飾語を持ち出したというよりは、上告理由の方が思想色強めで、それを排斥するのにちょっと力んでしまった、という感じではあります。ただ、自分個人としては、親殺しは死刑か無期懲役だ、と条文で宣言されている社会よりかは、「毒親」「家族という病」なんていう言葉の概念も包含してる社会の方が好きですけど。

*5:本日のブログタイトルはこのマンガの話です。

*6:2014年度センス・オブ・ジェンダー賞大賞受賞作品。今ウィキペディア見て初めて知ったけど、約束のネバーランドも受賞してるじゃん。

*7:正確には、「該当しないものと認定されている」。

*8:もっとも、後述の違憲審査の段階では、この段階的治療云々の話はどちらかというと(立法の必要性事情というより)許容性に関わる事情として位置付けられています(「段階的治療という考え方を前提とすれば、最終段階たる性別適合手術を受けたか否かで差を設ける取扱いも『許容』される(された)よね」、という話。)。ですので、必要性事情の指摘を抜きにして段階的治療の考え方のみから「(未手術者は)特例法の保護範囲外だ」という結論が導けるわけではなく、その点で、自分の上記要約はロジックが少し乱暴です。

*9:我々は、「違憲審査をする場合、①まず、当該権利が憲法上保障されているか否かを論じ、②それが当該事案においてどういうふうに制約されているかを認定した上で、③どのようにして合憲性を判定するか基準を定立する、という流れで行う」ものと習います(三段階審査)。本文で着目したのは、このうち②の部分です。なお、画像は、この①②③に区別して色分けしています。

*10:もちろん、制約の箇所での議論が権利保障性の箇所に移るだけではある。けど、「二者択一を迫られる点で、その選択肢の一方が制約されている」、という理屈は、何かこう、ストンと落ちないというかスッキリしない。いやもちろん頭では分かるんだけど。

*11:なお、宇賀反対意見は、「身体への侵襲を受けない自由のみならず、本件のように、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、幸福追求にとって不可欠であり、憲法13条で保障される基本的人権といえると思われる。」と述べています。これが権利設定の仕方に対する異論の趣旨を含むのかはよく分かりません。「問題の設定の仕方が狭すぎない?」、と仰っているようにも読めるが、どうだろう。

*12:逆に、「こんだけ重要な法的利益だ云々言っておいてそれかい」、という感じでもある。

*13:厳密に言うと、一文だけ、「5号規定を廃止した場合に生じ得る問題は、もとより慎重に考慮すべきであるが、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に示されているとおり、上記のような過酷な選択を正当化するほどとまではいえないように思われる。」と書かれています(判決文36ページ)。

【判例その他】(承前)調査報告書とか判例の原文を紹介してみる

(約9,000字)

 

PCが壊れて、修理に出して、つい先日、戻ってきました。

 

 

 

その間、打ち物を最低限に減らすよう手配して、その最低限のブツは一代前のPCくんで乗り切りました。
多少の不便はありましたが、まぁ何とかなって良かったです。また何より、データが無事でよかった。保証期間中でお金もかかりませんでしたし。
ただ、また間が空いてしまいましたね…。投稿直前だったのだけれど。

 

 

 

気が付けば9月とか、もう、我に返って呆然とする感じです。
我が修習地にはLRTが開通したし、隔世の感すらあります。

 

 

 

 

 

さて、以下が、その投稿直前だった記事です。
出だしからして時の経過を感じます。

 

 

 

 

 

 

 


ニュースが、某中古車販売業者さんの件で持ちきりである。

 

 

 

 

 

 

公益通報者保護特別委員会について

僕は東京弁護士会の、公益通報者保護特別委員会というところに所属している。公益通報者保護法という法律に関わる委員会である。
公益通報」は、一般的には「内部告発」と表現した方が分かりやすいかもしれない。組織の不正行為・違法行為を認識した者が、当該事実(不正・違法があった事実)を、当該組織自身や監督行政庁、マスコミ等に伝えるなどして是正を図り、公共の利益や安全を守ろうとする行為をいう。日本では1990年代後半以降、内部告発により大手企業や官庁の不祥事が摘発される事態が頻発したことを受け、イギリスのPublic Interest Disclosure Actに倣い、2004年に公益通報者保護法が成立・公布された。
文字どおり、上記のような「公益通報」を行った方を保護するための法律である。
何から保護するのか、というと、当該組織の報復的不利益取扱いからである。

 

公益通報者保護法は、施行以来数次の改正を経ている。近年(2020年)にも改正があり、同改正法は昨年(2022年)6月に施行されたばかりである。
その中で、事業者に対し、内部通報に適切に対応するために必要な体制の整備等(窓口設定、調査、是正措置等)が義務付けられた。

公益通報者保護法11条(事業者がとるべき措置)
1項 事業者は、第3条第1号及び第6条第1号に定める公益通報を受け、並びに当該公益通報に係る通報対象事実の調査をし、及びその是正に必要な措置をとる業務(次条において「公益通報対応業務」という。)に従事する者(次条において「公益通報対応業務従事者」という。)を定めなければならない。
2項 事業者は、前項に定めるもののほか、公益通報者の保護を図るとともに、公益通報の内容の活用により国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法令の規定の遵守を図るため、第3条第1号及び第6条第1号に定める公益通報に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置をとらなければならない。
3項 常時使用する労働者の数が300人以下の事業者については、第1項中「定めなければ」とあるのは「定めるように努めなければ」と、前項中「とらなければ」とあるのは「とるように努めなければ」とする。
(4項~7項 略)

が、この内部通報体制をうまく設計・運用するのは、とても難しい。
重責を担う通報受付担当者をどう確保し育てるか、というのも重い課題だが、より根本的な、制度内在的問題もある。
すなわち、企業風土として違法・不正行為が横行している場合ほど内部通報体制・通報者保護体制整備の必要性が高いわけだけれど、一方で、そういう会社ほど、(いわば)まともな体制構築・運用を期待するのが難しい、という問題である。

 

当委員会の活動内容はいろいろあるのだが、いわば基礎研究的なものの一つとして、企業不祥事が明るみになった事例中、調査委員会による報告書内で内部通報体制に言及があった事案の分析、というものがある。
要するに、失敗分析である。内部通報体制があったのにうまく機能しなかった実際の事例を活用し、会として、知見を蓄積するとともに今後の提言等に活かしていこう、というもの。
僕も少し前、特定の事案を割り当てられ、会内で発表した。大変だったが*1、無論、僕自身の勉強にもなった。
ちなみに…
上場会社の第三者委員会に関する情報サイトとして第三者委員会ドットコムさんというところがあり、各調査報告書をまとめてくださっています。頭が下がる公益的活動だと思います。
・調査委員には弁護士が入ることが多いため、日弁連は、会として、目指すべき第三者委員会の在り方を示したガイドラインを出しています。三者性を担保する目的から作られたものです。

 

…とまぁそういうわけで、今回の中古車販売業者さんの件も、そういう観点から興味があった。
社長さんが「調査報告書を公表すればいい(記者会見とかは不要だ)と思っていた」等と仰っているらしいと聞いた時から。

「ほう。調査報告書があるんすか。」、と。どんな代物なのかな、と。

なので、見てみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…これは、あかんやつですね…。

 

 

 

 

 

 

 

いや、「最初から分かってたでしょ」、と言われればそうなんですが。
「第8 不適切な保険金請求が行われた原因の分析」、特に「2 コーポレートガバナンスの機能不全とコンプライアンス意識の鈍麻」の箇所は、読んでいて、ちょっと絶句してしまった。
いくら非上場とはいえ、会社法上の大会社で、ここまでメチャクチャだったか…と。

 

弁護士は、企業様の顧問として、持ち込まれる法律相談に頭を抱えることがよくあるわけだけれど。
今回のような事案に接すると、そもそも、コンプライアンス確保・法的リスク低減のために顧問料というコストを支払おう、という発想自体、本来はナチュラルに発生するものではないのだ、ということに思いを致さざるを得ない。

 

会社にせよ社会にせよ、平等や公正性は黙っていれば宙空から降ってくるわけではないのですよね。だからこそ弁護士という職業が必要でもあるわけで。
まぁ、ふだんは逆に、弁護士ができることって多くはないなぁ…と壁にぶち当たって悩むことの方が多いわけだけれど。
人様の遵法意識を自明と捉えがちな自身を戒めつつ、時にはできることの方にも目を向けていきたいものだ、などと思った次第です。

 

 

 

なので、その一環、公益通報に関わる委員会活動をしている一弁護士として、以下、少しだけ、調査報告書の内容を抜粋してご紹介してみます。

 

 

 

例の件の調査報告書

報道等でも取り上げられることの多い次の一節ですが、

報告書の中で認定されている事実は、大要、以下のとおりです(報告書p27~28)。

正直、気持ちよく読める箇所ではないです。「他人事のようなこと」だの「反省」だのと問題を矮小化された上に責任転嫁され、Hさんは無念だっただろうな、と思います。ただ、遺憾ながら、この種の問題のすり替えは、内部通報制度が機能不全に陥っている現場で、しばしば発生していることでもあります。

しかしながら、改正法が施行された現在は尚更、内部統制システムの一柱を成す内部通報体制の構築/運用上の不備は、すなわち取締役(会)の義務として、役員等の任務懈怠を構成し得ます。つまり、会社に損害が発生した場合には賠償責任の対象となり得ます。
もちろん、消費者庁の調査が入ることもあるでしょう。

 

 

事業者の皆さん、内部通報制度は、ただ表面的に構築・設置してみただけでは、ほぼ、「適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置をと」った(公益通報者保護法11条2項)ものとは認められないとお考えください。
上記義務の履践があったと認められるには、適切に運用するための配慮が不可欠です。

制度を周知し、通報を奨励しましょう。通報が多くなる事態を否定的に捉えるような発言は控えましょう。
通報対応者教育や通報者への評価について、適切な人事的配慮をし、そのこともまた、社内広報しましょう。

 

今回の件でも、再発防止のためには、内部通報制度の整備が必要である旨、指摘されているところです(報告書p40)。



 

個人の皆さん。
公益通報関係で何かありましたら、遠慮なく、当会無料相談のご利用も検討してみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 


さて、以下。前回の続きとして、LGBTQ+関係についてです。

 

 

LGBT理解増進法について

まず、本年6月16日にLGBT理解増進法が成立し、同月23日に公布・施行となった。
正式名称は「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」、条文はこちら

 

全部で12条しかなく、国の責務を除けば、書かれているのは理念と努力義務で、それを超えて私人の法的権利義務に影響を与える法律ではない。けれども、だからこそ逆に、いわば純粋に理念をめぐる争いが顕在化したとも言える。

問題となったのは保守派からのバックラッシュ的なものであり、僕の承知しているところだと、

そもそもの法律名称のところで、もともと使われていた用語である「性自認に対し主観的すぎる、という批判が入り、これがジェンダーアイデンティティに変更された
3条の条文
性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策は、全ての国民が、その性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として行われなければならない。」
中「不当な差別はあってはならない」という部分は、もともとは「差別は許されない」という表現であったところ、同表現下では「訴訟の濫発」が懸念されるという声が起こり、現在の表現に変更になった
12条
「この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする。この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定するものとする。」
は、条文自体がもともとなかったところ、保守派からの要請で入れられた

という3点(他にもあったらごめんなさい。)。

 

(①)本法は、特定の性を自称しさえすればそう扱われるべき、などという法律ではないはずだ。当事者もそんなことは全く求めていない。自称・僭称と『自認』は違う。そんなところから無用に警戒され誤解され、法律名称にカタカナ表記を持ち込むレベルの例外的扱いを受けなければならないのか。

(②)「不当な差別」とはどういう料簡か。不当でない差別などあるのか。「差別は許されない」ことに異論などあり得るのか。差別を受けて訴訟を提起するのは、何か「濫発」と評価されなければならないのか。

(③)セクシャルマイノリティはマジョリティを不安に陥れる存在なのか。「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意する」とは、そういう前提に立っていなければ出てこない発想・表現ではないのか。

…要するに、かえって現状の差別意識を追認しているような法律に堕してしまっているではないか、内容が「理解増進」と真っ向から背馳しているではないか、と。*2

 

で、そういう声が湧き上がっている正にその最中に、性同一性障害の診断を受けた方(生物学的性別は男性、精神的には女性)に女性トイレの使用を認めなかった扱いを違法として取消請求等を認める最高裁判決が出た。7月11日である。

 

 

 

7月11日の最高裁判決について

これはさんざん言われていることなのだが、今回の判決はいわゆる事例判断というものであり、「今回の事例ではこう判断しました」、と言っているに過ぎない。
一般論として
性自認が女性の方については、(性別適合手術を受けていなくても、)女性トイレの使用を認めなければ違法だ」
などと言った判決では全くない(このブログで人様にお伝えしたいことがあるとすれば、これに尽きる。)。
もちろん僕は判決を読んだが、「最高裁、めちゃくちゃ気を遣ってるな…」という感想しかなかった。
なので、この判決に対し「判事たちは最高裁判決の重みを分かってない」旨批判する向きについては、端的に誤りだ、と思う。
判決を読まないで言ってるか、読んだ上で敢えて曲解して言ってるかしか考えられないし、いずれにせよ、客観的論評に仮装したお気持ちの表明でしかない。

 

 

 

逆に、そういう仮装じゃなくて、率直な感覚であることを自認した上での反対論陣の方々による意見表明については、それが明らかになること自体は、積極的に受け止めるべきなのかな、と思う*3。議論というか、相互理解の前提を提供するものですからね。

で、今回SNS上で目にしたご意見の中に、
「女子トイレに体が男性の人がいたら怖い。これが分からないなら心が女は嘘だと思います。」
という旨の呟きがあって*4、何というか、その感情についてどう思うか以前の問題として、「なるほど」と腹落ちした。
もちろん僕は男性ですから、体が男性というだけで犯罪者予備軍みたいに見られるとすれば心外だし不快でもあるけど*5、それが女性の一般的・通有的な感覚だ*6、という認識を前提にしないと話は進まない(はずだ)しな。

 


…と思うので、僕に、上記ご意見を批判する意図は、全くない。*7
このことは先に明確に申し上げた上で、一点だけ注釈を付け加えたい。それは、

「今回の判決は、(事例判決である以前の話として、)そもそも、LGBTQ+の方を直接の名宛人として『女性トイレを使っていいですよ』と述べた判決ではない」

ということであり、

「『トイレの管理者が使用を禁止したのが違法だ、と述べる』ことと、『利用者に使用を認める』こととは全然違う」

と言い換えても良い。

 

 

今回の事案というのは、ものすごく雑に要約すると、

  • 性適合手術を受けていない、性自認が女性の方が、
  • 職場(経産省)における女性トイレの自由な使用(を含め、原則として女性職員と同等に処遇すること)を認める措置を要求したところ、
  • 職場(正確には、人事院)が、当該要求を認めない旨判定したため、当該判定の取消し及び国家賠償を求めて訴訟提起し、
  • 最高裁が当該請求を認めた、

というものです。つまり、判決の直接の名宛人は国であり、これも雑駁に一般化するとすれば『職場』、です。
で、繰り返し述べているとおり本判決はあくまで事例判断なわけですけど、百歩譲ってその点は措いておくとして、仮に、本判決を契機として、日本の各『職場』において従来の扱いを見直す動きが始まったとしましょう。

 

どうなるか。

 

当然、各職場が一定の要件の下で*8上記のような方の女性トイレ使用を認め、当事者の方々がそれに則って使用申請する、という流れになるでしょう。*9

 

何が言いたいのかというと、仮に本判決の事例判決性を横に置くとしても、

「判決の結果として女性トイレの使用が新たに認められるとすれば、それは、『職場を相手に正規の手続を踏んで使用を申請する意思がある当事者』だけだ」

ということです。
「体が男性の人」という括りの場合と比べ、犯罪的意思を有する人間が紛れる可能性は相当に低いと言えるはずだと思います。


もちろん、判決を正面から読解する限り、という話ではあって、意図的に曲解した人間が建造物侵入を犯す可能性は残るわけですけど。
でもそれは、有り体に言って、判決があろうがなかろうが同じなのであって、判決を批判する理由にはならないはずです。
注でも前述しましたけど、いかなる立場の方であれ、もしもすべきことがあるとすれば、それは判決の批判ではなく、誤解曲解を防ぐための周知啓蒙ではないのかな、と。

 

 


…さて。
そういうわけで、最後に、判決の内容を簡単にご紹介したいと思います。


事案の概要

最高裁自身による簡潔なまとめは次のとおり(判決p1「1」)。

「本件は、一般職の国家公務員であり、性同一性障害である旨の医師の診断を受けている上告人が、国家公務員法86条の規定により、人事院に対し、職場のトイレの使用等に係る行政措置の要求をしたところ、いずれの要求も認められない旨の判定(以下「本件判定」という。)を受けたことから、被上告人を相手に、本件判定の取消し等を求める事案である。」

国家公務員法86条の条文は、これ↓ですね。

国家公務員法86条(勤務条件に関する行政措置の要求)
 職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる。

事実経過につき多少詳しく見ると、こんな↓感じ。

 

 


事例判断だということ①

ところで、判決理由は全部で4つの意味段落から成っており、次のような構成になっています。上の「事案の概要」で書いたことは、このうち「1」と「2」から適宜抜粋した内容です。

「1」:事案の要旨(事案の要旨を一文で表現したもの。「本件は、~事案である。」)
「2」:認定事実の概要(「1」よりは詳しい事案の概要。「原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。…。」)
「3」:原審(高裁)の判断(「原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件判定部分の取消請求を棄却した。…。」)
「4」:最高裁の判断
「5」:結論(「以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決中、本件判定部分の取消請求に関する部分は破棄を免れない。…よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。」)

で、このうち「4」で書かれている内容の枠組みは、次のとおり。

(柱書)「しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。」

(1)「国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては、広範にわたる職員の勤務条件について、一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から、人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同法71条、87条)、その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって、上記判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である。」

(2)「これを本件についてみると、…。」

(3)「したがって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるというべきである。」

法曹関係者(行政法学習者)が読めば明らかなのですが、実は、(1)の部分は、内容があるようで実質、ありません。*10ほぼ、当たり前のことを書いているだけ。
で、(2)はいわゆる「当てはめ」で、((1)で立てた)法規範を事案に当てはめている部分。(3)は結論。

 

つまり、この骨子を見るだけで既に、(たぶん)この判決が『事例判断』だ(ろうな)、ということが分かるわけです。
事案の評価に入る前に有意な一般論を立ててないんだから。*11

 

 

 

事例判断だということ②

とはいえ、当てはめの中で、いわば下位規範のような形で一般論っぽいことが書かれている可能性も一応、あり得ます。事実を評価する場合の、重み付けの原則みたいなものとか。
ただ、結論から先に言えば、上記(2)では、そういうことは全く、書かれていません。

事情を引っ張った上で、

「以上によれば…上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。」

と述べているだけ。

 

だから、やっぱり、本判決は、徹頭徹尾、事例判断です。
本件の事情の下における判断を述べているだけで、何ら一般論は含まれていません。

 

具体的内容は、次のとおりです。




 

事例判断だということ③

判旨は以上なのですが、本判決は、裁判官5人全員が補足意見を付けている点でも、注目に値するものです。
で、最後に書かれているのが裁判長裁判官今崎幸彦氏の補足意見は、次の一文で締めくくられています。

なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。

すごい念の入れようだな、と思いますし、最高裁が、100%意識的に、事例判断としか読めない判決文を作ったことが伺える部分でもあります。

 

 


個々の裁判官が本件についてどう考えて判旨の結論に至ったか、多少なりとも率直に書かれているとすれば、それはむしろ補足意見です。
興味のある方はぜひご一読ください。

個人的には、渡邉惠理子裁判官の補足意見(判決p8~p11)が、綿密重厚で読み応えがあると思いました。

 

 

 

 

 



*1:割り当てられた事案の報告書が500ページ超えてるの知ったときは、まぁ、正直、「げっ…」と思いましたね 笑

*2:私見を言うなら、全くもってそのとおりだと思う。実害が生じるような解釈運用がなされないことを切に願う。

*3:もちろん、それこそ言い方によると思いますが。

*4:リンクは敢えて貼りません。

*5:女性トイレに間違っては入っちゃう可能性は低いけど、普段使わない駅で間違って女性専用車両の待ち列に並んじゃったことならあるしな。幸い乗る前に気づけたけど、あのときのゾッとした気持ちは、逆に男性じゃないと分かっていただけないだろうな、と思う。

*6:かなりの数のいいねが付いてましたからね。

*7:本文で書いたとおり、ご懸念の事態が増加することになるとすれば判決を誤解/曲解した場合ですから、発言者の方が警戒すべきは、判決それ自体ではなく、判決の誤解・曲解であるはずです。で、僕が懸念するのもまさしく判決の誤解・曲解ですから、むしろスタンスは共通しているわけで。

*8:要件は間違いなく定めるでしょう。「性自認が女性ならウチでは手続なしで女性トイレを使っていいよ。」なんて雑なことしたら、かえって凄いことになるのが目に見えて明らかなわけですから。

*9:しつこいですけど、これ、本件判決が事例判決であることに敢えて目を瞑った上での仮定の話ですからね。誤解されたくないからしつこく言いますが。

*10:国公法86条の判断が人事院の裁量事項だ、という点にはさすがに争いはないでしょう。

*11:仮に立てるとしたら、例えば、「原則としては裁量が認められるものの、性自認に基づくトイレ使用を求める権利は人格権との連関が強度であるから、同裁量は一定程度羈束される」とか。

【法改正】司法試験と刑法改正

(約12,000字、ただし大量の条文込み。)

 

 

 

 

 

 

司法試験について。

実は、水曜(※7/12)から、今年の司法試験中である。
日程はこちらで、2日やって1日休み、また2日頑張る、という感じ。ちょうど今日(※後記:正にこの文章を書いていた日付のことで、7/14(金)。)が中日でお休みに当たる。

 

純粋に日数だけ見れば中日=折り返し地点、なのだけれど、たぶん、受験者の実感は異なる。少なくとも僕はそうでした。
一番の勝負は、2日目、怒涛の民事系三科目なんですよね。覚えることも多い上、ちょうど僕が受けた年(2017年)の前の年からボリューム*1も大幅に増えた。問題の中身はろくすっぽ覚えてないけど*2、本当にクタックタに疲れた記憶だけはある。それこそ、中休みの前じゃなきゃ頑張れないレベル。
で、他方、試験時間だけ見ると一番長いのは1日目。
要するに、前半が超重い。

対して後半は、そもそも最終日が短答ですしね。まぁそこは大丈夫だろ、という感じ。とはいえ僕の場合、蓋を開けたらギリギリだったんですけど 笑
刑事系は一番分量書かなきゃいけないけど、言うて2科目頑張れば終わりですしね。終わりが見えてる分、悲壮感は薄い。

 

 


受験生の皆様、少し早いかもしれませんが、あと少しです。
心から、応援しています。

 

 

 

そんな過酷な司法試験ですが、2026年から、遂に、手書きから決別してCBT形式に切り替えるそうな。
もう3年後じゃないか。
大賛成ではあるのだけれど、いろいろ、どうなるんだろうなホントに。仮に試験時間がそのままだとすると、書ける分量はめちゃくちゃ増えるわけで。
今回の改正理由の一つとして採点負担の軽減が言われているけど、手書きの長大答案を読むストレスがなくなっても*3、量が増えたら意味ないしな。
とすると、時間を減らすんだろうか。時間配分ミスが致命的になるから、プレッシャーが今よりもっと凄いことになるな。
ついでに言えば、二回試験やらロー試験やらはどうなるんだろう。

 

 


変更と言うなら実は今年も、試験時期が2か月後ろ倒しになるっていう大きな変更がされている。
何とも雑な感想で恐縮だが、いろいろ、なかなかの速さで変わっていくなぁ。

 

 


僕個人のまわりで言えば、当業界の某月刊誌巻末情報によると、
・一年目にバッジを外したと思われていた同期が、たぶん、東京で就職して復帰した。
・修習でお世話になった(当時)部長裁判官が定年退官して、弁護士に転身なさった。
みんな元気かな。

 

 

 

 

 

 


近時の法律ニュースについて。

法律をめぐる世の中の動きも慌ただしい。
直近で言うと、今年の受験生が公法系の論文試験を受験する前日というタイミングで、取消訴訟+国賠訴訟に関して、耳目を集める最高裁判決が出た。
その他、大きなところで入管法改正とか、業界的関心(かなり高い)で言うと法廷録音に関する制裁裁判とか、少しローカルなニュースで言えば改正民法に基づく枝切除のニュースとか、追いたい事柄が尽きない。
いろいろ書きたいことはあるが、ひとまず今回、性をめぐる法律の動きについて2点、備忘メモを残しておくことにする。
※後日注記:1点目(刑法改正)が長くなったのでひとまず擱筆し、残る1点(LGBTQ関係)については、時間ができたら後日書くことにさせていただこうと思います。

 

 

 

 

 

刑法改正について

超デカい改正である。性犯罪関係の改正。

改正の経緯

▼改正に向けた大きな契機となったのは、2019年3月に出た4件の性犯罪無罪判決であった(と思われる)。特に、実父からの性虐待が認定されたにもかかわらず無罪となった名古屋地方裁判所岡崎支部平成31年3月26日判決(名古屋高等裁判所令和2年3月12日判決で逆転有罪、最高裁判所第三小法廷令和2年11月4日決定で原審判決確定)のインパクトは大きかった。

▼僕は経緯をリアルタイムで逐一追っていたわけではないが、法制審議会(刑事法(性犯罪関係)部会)に諮問されてからの議論の経緯は、法務省HPで確認できますね。第1回部会の開催が令和3年10月27日であり、当該部会の議事録によれば、

・「本年9月16日,法務大臣から,「性犯罪に対処するための法整備に関する諮問」(諮問第117号)がなされ,同日開催された法制審議会第191回会議において,この諮問についてはまず部会において審議すべき旨の決定がなされました。」(p1)

・「平成29年6月に成立した刑法の一部を改正する法律により,性犯罪の罰則について改正が行われましたが,改正法附則第9条において,「この法律の施行後3年を目途として,性犯罪における被害の実情,この法律による改正後の規定の施行の状況等を勘案し,性犯罪に係る事案の実態に即した対処を行うための施策の在り方について検討を加え,必要があると認めるときは,その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする」こととされました。法務省では,この検討に資するよう,平成30年4月から,省内の関係部局の担当者を構成員として,「性犯罪に関する施策検討に向けた実態調査ワーキンググループ」を開催し,各種の調査・研究やヒアリング等により実態把握を進め,令和2年3月,その取りまとめ報告書を公表しました。そして,同年6月から,被害当事者,被害者心理・被害者支援関係者,刑事法研究者,実務家を構成員として,「性犯罪に関する刑事法検討会」を開催し,同検討会において,性犯罪に関する刑事の実体法・手続法の在り方に関する様々な論点について,法改正の要否・当否の議論が行われ,令和3年5月,検討結果として,更なる検討に際しての視点や留意点が示されるなどした報告書が取りまとめられました。法務省においては,この報告書を踏まえて検討し,近年における性犯罪の実情等に鑑み,この種の犯罪に適切に対処するため,所要の法整備を早急に行う必要があると考え,今回の諮問に至ったものです。」(p5-6)

とのこと。

▼で、14回にわたる審議が行われた。最終部会開催日は令和5年2月3日となっていて、その結果を踏まえ、同月17日に法相への答申がなされている。これを踏まえて法務省から国会に法案提出が行われたのが同年3月14日。国会で可決されたのが同年6月16日、公布が同月23日、施行が同年7月13日*4

▼この間、5歳差要件の是非をめぐってちょっと議論がありました。*5*6改正刑法は13~15歳との性交等については①5歳以上の年齢差がある場合につき②同意の有無を問わず処罰対象としてます。この①の要件が入れられたのは、同年代との恋愛に基づく性交等を処罰対象から除外するためなのですが、これに対し、大要、「いや、そもそも(5歳差未満なら)16歳未満と性交できること自体がおかしい、5歳差要件などなくし、16歳未満との性交はぜんぶ処罰対象とせよ」、という反対論が上がったことがありました。*7*8*9与野党協議も行われましたが、結局、同要件は維持されました。*10

 

 

改正の結果

こちらのページの「改正法等の概要」のところで、法務省が、分かりやすくまとめてくれている。
 ざっくり分けると、①『強制』性交等罪を『不同意』性交等罪に変更し、構成要件を改正・整備したこと、②未成年の保護を強化したこと、③手続法の側面からも被害者保護を強化したこと、④撮影罪を新設したこと、という4つに分けられると思う。*11

▼『④撮影罪を新設したこと』について

・きちんと議事録等を読んだわけではないが、ⅰ撮影した画像や動画が存在することが、より、不同意性交等の被害を深刻化・長期化させる側面があるし*12、ⅱそもそも同意なしの撮影行為自体当罰性のある行為でもあるのだが、今まで条例レベル(+児ポ製造罪等)の規制しかなく、処罰の間隙を生じてもいたため、それらを禁圧する趣旨で新設された、というあたりだろうか。*13

・新法(性的姿態撮影等処罰法)を立法しての解決となった。条文はこちら

・1条すなわち目的規定は次のとおり:

「この法律は、性的な姿態を撮影する行為、これにより生成された記録を提供する行為等を処罰するとともに、性的な姿態を撮影する行為により生じた物を複写した物等の没収を可能とし、あわせて、押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等の措置をすることによって、性的な姿態を撮影する行為等による被害の発生及び拡大を防止することを目的とする。」

・処罰対象となるのは大きく5つ、
 (1) 他人の性的な姿を一定の態様・方法で撮影する行為
 (2) (1)の撮影行為により生まれた記録を提供したり、公然と陳列したりする行為
 (3) (1)の撮影行為により生まれた記録を、提供・公然陳列の目的で保管する行為
 (4) 他人の性的な姿を一定の態様・方法でライブストリーミングにより不特定・多数の者に配信する行為
 (5) (4)の配信行為により送信された影像を記録する行為
であり(上記法務省HP下部のQ&A参照)、このうち(1)の「一定の態様・方法」というのは、
 ⅰ 正当な理由がないのに、ひそかに撮影する行為
 ⅱ 同意しない意思の形成・表明・全うが困難な状態にさせ、又はその状態にあることを利用して撮影する行為
 ⅲ 誤信をさせ、又は誤信をしていることを利用して撮影する行為
 ⅳ 正当な理由がないのに、16歳未満の者を撮影する行為(13歳以上16歳未満の場合、行為者が5歳以上年長の者であるとき。)
の4類型。(1)ⅰ~ⅳの条文は以下。

2条(性的姿態等撮影)1項
:次の各号のいずれかに掲げる行為をした者は、3年以下の拘禁刑又は300万円以下の罰金に処する。
①正当な理由がないのに、ひそかに、次に掲げる姿態等(以下「性的姿態等」という。)のうち、人が通常衣服を着けている場所において不特定又は多数の者の目に触れることを認識しながら自ら露出し又はとっているものを除いたもの(以下「対象性的姿態等」という。)を撮影する行為
 イ 人の性的な部位(性器若しくは肛門若しくはこれらの周辺部、臀部又は胸部をいう。以下このイにおいて同じ。)又は人が身に着けている下着(通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるものに限る。)のうち現に性的な部位を直接若しくは間接に覆っている部分
 ロ イに掲げるもののほか、わいせつな行為又は性交等(刑法(明治40年法律第45号)第177条第1項に規定する性交等をいう。)がされている間における人の姿態
②刑法第176条第1項各号に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、人の対象性的姿態等を撮影する行為
③行為の性質が性的なものではないとの誤信をさせ、若しくは特定の者以外の者が閲覧しないとの誤信をさせ、又はそれらの誤信をしていることに乗じて、人の対象性的姿態等を撮影する行為
④正当な理由がないのに、13歳未満の者を対象として、その性的姿態等を撮影し、又は13歳以上16歳未満の者を対象として、当該者が生まれた日より5年以上前の日に生まれた者が、その性的姿態等を撮影する行為

 

▼『③手続法の側面からも被害者保護を強化したこと』について

:公訴時効期間の延長と、伝聞法則の例外の承認の2つである。

【公訴時効期間の延長】

被害深刻がしづらい犯罪類型であること、殊に被害者が子どもである場合は尚更ハードルが高いことに照らし、公訴時効期間を延長する改正がなされた。

刑事訴訟法250条
3項:前項の規定にかかわらず、次の各号に掲げる罪についての時効は、当該各号に定める期間を経過することによつて完成する。
 ① 刑法第181条の罪(人を負傷させたときに限る。)若しくは同法第241条第1項の罪又は盗犯等の防止及び処分に関する法律(昭和5年法律第9号)第4条の罪(同項の罪に係る部分に限る。) 20年
 ② 刑法第177条若しくは第179条第2項の罪又はこれらの罪の未遂罪 15年
 ③ 刑法第176条若しくは第179条第1項の罪若しくはこれらの罪の未遂罪又は児童福祉法第60条第1項の罪(自己を相手方として淫行をさせる行為に係るものに限る。) 12年
4項:前二項の規定にかかわらず、前項各号に掲げる罪について、その被害者が犯罪行為が終わつた時に18歳未満である場合における時効は、当該各号に定める期間に当該犯罪行為が終わつた時から当該被害者が18歳に達する日までの期間に相当する期間を加算した期間を経過することによつて完成する。

(なお、刑法176条が不同意わいせつ、177条が不同意性交等、179条が監護者わいせつ及び監護者性交等、181条が不同意わいせつ等致死傷。)

通常、公訴時効期間って、罪の重さに比例して決められているのですが(250条2項)、性犯罪関係の罪は「前項の規定にかかわらず」という形で完全に別物扱いして切り分けたわけですね。

【伝聞法則の例外の承認】
:被害者の方が公判で証言することの心理的負担や困難性、それがかえって二次被害を生じること等の問題に照らし、法廷外での証言*14を証拠として使いやすくする改正がなされた、というまとめ方になろうか。

刑事訴訟法321条の3
1項:第1号に掲げる者の供述及びその状況を録音及び録画を同時に行う方法により記録した記録媒体(その供述がされた聴取の開始から終了に至るまでの間における供述及びその状況を記録したものに限る。)は、その供述が第2号に掲げる措置が特に採られた情況の下にされたものであると認める場合であつて、聴取に至るまでの情況その他の事情を考慮し相当と認めるときは、第321条第1項の規定にかかわらず、証拠とすることができる。この場合において、裁判所は、その記録媒体を取り調べた後、訴訟関係人に対し、その供述者を証人として尋問する機会を与えなければならない。
 ① 次に掲げる者
 イ 刑法第176条、第177条、第179条、第181条若しくは第182条の罪、同法第225条若しくは第226条の2第3項の罪(わいせつ又は結婚の目的に係る部分に限る。以下このイにおいて同じ。)、同法第227条第1項(同法第225条又は第226条の2第3項の罪を犯した者を幇助する目的に係る部分に限る。)若しくは第3項(わいせつの目的に係る部分に限る。)の罪若しくは同法第241条第1項若しくは第3項の罪又はこれらの罪の未遂罪の被害者
 ロ 児童福祉法第60条第1項の罪若しくは同法第34条第1項第9号に係る同法第60条第2項の罪又は児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律第4条から第8条までの罪の被害者
 ハ イ及びロに掲げる者のほか、犯罪の性質、供述者の年齢、心身の状態、被告人との関係その他の事情により、更に公判準備又は公判期日において供述するときは精神の平穏を著しく害されるおそれがあると認められる者
 ② 次に掲げる措置
 イ 供述者の年齢、心身の状態その他の特性に応じ、供述者の不安又は緊張を緩和することその他の供述者が十分な供述をするために必要な措置
 ロ 供述者の年齢、心身の状態その他の特性に応じ、誘導をできる限り避けることその他の供述の内容に不当な影響を与えないようにするために必要な措置
2項:前項の規定により取り調べられた記録媒体に記録された供述者の供述は、第295条第1項前段の規定の適用については、被告事件の公判期日においてされたものとみなす。

法制審議会の部会では、第5回と第11回に議論がなされていますね。改正動機については、特に第5回議事録に詳しい。
・ただ、どうなのだろう。審議では性犯罪被害者の、それも児童の負担の力説に多大な時間が割かれていたし、議論の土俵もそれを前提に進んでいたように読めるのだけれど、実際の条文は、性犯罪の被害者にすら限定されていない(1項1号ハ)点で、ちょっとズレを感じる。確かに例外規定を設ける(ゼロを一にする)以上、理論的には問題は自ずと他の犯罪類型にも波及するのだろうけれど、少なくとも、審議会が諮問を受けた範囲を超えて答申しちゃったことは否めないんじゃないのかな。
・法律的な建付けについては、審議の過程で、反対尋問の機会を保障するかどうかの二択をめぐり議論がなされた結果、改正法は保障を残した。反対尋問不要派の方からすれば改正の意義は減じられてしまったことにはなるが、本条が活用されるようになれば、主尋問プラス調書作成のための長時間のP・K聴取の負担は軽減されるわけだから、*15やはり相応の意義はあったとも評価し得る。
・運用面による影響がすごく大きいのではないかな…という印象を受ける。少なくとも、司法面接聴取の主体の問題と、聴取前汚染の問題はかなり重要なんじゃないか。この点については日弁連の意見書に賛同する。

 

▼『②未成年の保護を強化したこと』について

:性交等同意年齢の実質的引上げ(とでも言えばいいのかな)と、面会要求等の罪の新設。

・前者が、前述した5歳差要件とも絡むところで、今までは13歳だった(13歳未満との性交等は絶対禁止で処罰対象)ところ、13歳では低すぎる、判断能力が十分に備わっているとは言えないとして、16歳に引き上げられた、ただし、その狭間の13歳以上15歳以下につき、同年齢どうしの真摯な恋愛に基づく行為に当罰性を認めるべきかは疑問があり得るため、5歳差要件を設けた、というもの。

・後者は、いわゆるグルーミングと呼ばれる行為群を処罰するもの。審議会議事録での各委員・幹事の発言(p17以下)はとても説得力があった。全面的に賛同する。条文は以下。

182条(十六歳未満の者に対する面会要求等)
1項:わいせつの目的で、16歳未満の者に対し、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者(当該16歳未満の者が13歳以上である場合については、その者が生まれた日より5年以上前の日に生まれた者に限る。)は、1年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する。
 ① 威迫し、偽計を用い又は誘惑して面会を要求すること。
 ② 拒まれたにもかかわらず、反復して面会を要求すること。
 ③ 金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をして面会を要求すること。
2項:前項の罪を犯し、よってわいせつの目的で当該16歳未満の者と面会をした者は、2年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金に処する。
3項:16歳未満の者に対し、次の各号に掲げるいずれかの行為(第2号に掲げる行為については、当該行為をさせることがわいせつなものであるものに限る。)を要求した者(当該16歳未満の者が13歳以上である場合については、その者が生まれた日より5年以上前の日に生まれた者に限る。)は、1年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する。
 ① 性交、肛門性交又は口腔性交をする姿態をとってその映像を送信すること。
 ② 前号に掲げるもののほか、膣又は肛門に身体の一部(陰茎を除く。)又は物を挿入し又は挿入される姿態、性的な部位(性器若しくは肛門若しくはこれらの周辺部、臀でん部又は胸部をいう。以下この号において同じ。)を触り又は触られる姿態、性的な部位を露出した姿態その他の姿態をとってその映像を送信すること。

 

▼『①『強制』性交等罪を『不同意』性交等罪に変更し、構成要件を改正・整備したこと』について

:これが、一番の目玉とでも言うのか、報道等での扱いが大きいところですね。ひとまず176条・177条それぞれの1項だけ抜粋する。

176条(不同意わいせつ)1項
:次に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、わいせつな行為をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、6月以上10年以下の拘禁刑に処する。
 ① 暴行若しくは脅迫を用いること又はそれらを受けたこと。
 ② 心身の障害を生じさせること又はそれがあること。
 ③ アルコール若しくは薬物を摂取させること又はそれらの影響があること。
 ④ 睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること又はその状態にあること。
 ⑤ 同意しない意思を形成し、表明し又は全うするいとまがないこと。
 ⑥ 予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、若しくは驚愕がくさせること又はその事態に直面して恐怖し、若しくは驚愕していること。
 ⑦ 虐待に起因する心理的反応を生じさせること又はそれがあること。
 ⑧ 経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること。

177条(不同意性交等)1項
:前条第1項各号に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、性交、肛こう門性交、口腔くう性交又は膣ちつ若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの(以下この条及び第179条第2項において「性交等」という。)をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、5年以上の有期拘禁刑に処する。

 

・まず第一に、従来罪とされてきたのは「強制」わいせつ・性交等であった、その「強制」性を裁判上立証しなければならないハードルが高すぎ、当罰性のある行為を処罰できていない、という問題意識があった。そこで、これを「不同意」わいせつ・性交等と改めた。これは、裁判のハードルを下げたということでもあるし、そもそも、同意がないセックスは許されない、という、いわばまっとうな性規範の当然の反映でもある、とされる。

・で、第二に、今回さらに、その「同意がない」類型を8つに分けて例示した。いわば例示列挙と包括的要件の二段構えとすることで、処罰範囲を明確にし、規程の安定的運用を可能にすることを狙った。*16以上に伴い、旧法の177条・178条の区別は解体された。

 

 

で。

 

 

今まで捕捉できなかった行為を拾えるようになった改正であり、被害者の精神的救済に資する点において、大いに賛同すべきものであり、たぶんその点で異論を言う人は誰もいない。もちろん僕も含めてである。

ただ、「この条文の仕上がりで法定刑下限5年というのはちょっと…」、という印象は正直、ある。

・一つには、177条1項柱書に「その他これらに類する行為又は事由により」という文言が入っていること。審議会部会でも意見は出たし、3つの弁護士会大阪埼玉岩手)が会長声明を出して指摘しているが、結局そのまま残っている。
・もう一つは、条文が二段構え構成をとっていることにより、かえって事実上、「各号に該当すれば不同意が推定され、被告人のほうで同意があったことを立証せねばならない」、というような運用になりかねないのではないか、という点。一応、審議会の議論では、そういうふうには捉えられていないように見受けられるが*17、事実、早くもそういうふうに解説している弁護士ブログもある。仮にそうなった場合、(本改正に関してしょっちゅう表明される懸念だが、)酒に酔って致した後に仲違いしたケースとか二股がバレて「あいつには無理やりされたの!」旨弁解がされたケースで、簡単に人の人生が破壊されてしまう。*18倫理的に禁止されるべき行為を刑法典が率先して言語化・類型化して定めることが社会へのメッセージに繋がり、日本の悪しき文化土壌変革の嚆矢となるのだ、みたいな委員の意見も見受けられたが、*19正直、逆ですよ。何をすべきでないかを法律実務家として人様(特に男性)にアドバイスすることを念頭に置いた場合、遺憾ながら、行為規範を導くのが甚だ困難だと言わざるを得ない。安全策を採ろうとすると、すべきでない範囲が非現実的に広くなる。

 

 

今般の改正法については、入管法改正との関係で時間切れ廃案の可能性が浮上した際、それを強く懸念する声が各方面から上がった。また、最終的に可決され成立した際には歓迎の声が大きく沸き起こったし、その中には、多数の弁護士実務家の声も含まれてもいる。
男性側としては、今まで女性側が強いられてきた危険意識に思いを致して真摯に受け止めるべきところであろうとは思う。

 

 

ただ、それを踏まえてなお、法律家の立場として、懸念は感じざるを得ない。
内容のある結語で終われないのが非常に遺憾なのだが、今後を注視していきたいと思う。

 

 

 

 

 

 


ひとまずおわり。

長くなってしまったし、*20司法試験実施期間中に書き始めたのに、今、もう試験が終わって数日が経ってしまっている。
受験生の皆様、遅ればせながら、本当にお疲れさまでした。*21

 

 

LGBTQ関係については、また時間ができたときに、改めて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*1:問題文のボリュームではなく、「問題に答えた」と言えるために最低限書く必要がある解答の分量。

*2:民法で賃借権の時効取得が聞かれたことと、民訴を解きながら「これは多分、過去問の中でも良問になるだろうな…」とかって呑気に考えたのだけは覚えてる。商法はホントに記憶にない…。

*3:予備校答練の添削の経験から言うが、読めない答案は本っっっ当にきったなくて、読めない。

*4:正確に言うと、公訴時効期間延長は公布と同時に施行、伝聞例外新設は令和5年年内に施行、押収された性的姿態撮影画像等の消去・廃棄に係る規定は令和6年6月までに施行、その他が令和5年7月13日に施行。

*5:これも正確には、法制審議会の部会内部でも議論はあったわけではあるが。第3回議事録p24以下など。

*6:性犯罪をめぐっては今後また何かのきっかけで再改正の機運が高まることも蓋然性があるし、その場合、この5歳差要件問題が再燃する可能性も大いにあるので、備忘のため書き残します。

*7:厳密に言うと、同反対論の主張者が、「15歳未満との/15歳未満の性交等を一律に禁止せよ」、という主張をしているのか、それとも「年齢差要件を残すにしても5歳差は広すぎる、もう少し狭めるべきだ」という主張をしているのかは、区別する必要はある(両者は全然違う。)。

*8:例えばこの記事参照

*9:この議論の過程で、元東弁副会長の立場にある先生が、大要「捜査機関の適切な運用に任せれば良い」と放言なさったのには驚愕を通り越して強い怒りを覚えた。若輩ながら申し上げるが、同発言に示された見解は、弁護士として著しく不適切な内容であると思料する。

*10:僕の意見は、ある先で生による2つのツイート(2023/5/182023/5/21と同意見、に尽きる。なお、念のため付記するが、改正後の刑法不同意性交等罪の法定刑は5年以上の有期懲役である一方、少年法62条2項(これも近時改正法が施行されたばっかりですね。)は短期1年以上の罪に当たる行為を特定少年が行った場合には原則逆送対象となることを定めている。よって、「(捜査機関ではなく)家裁の良識的処置に任せれば良い」という議論は、少なくとも特定少年に関する限り、成り立たない。

*11:その他、不同意性交等罪が夫婦間であっても成立し得ることについて確認的文言を置いたこととか、性交等の行為の範囲の見直しが行われたこと等。

*12:要は、それをネタに脅迫され得る。

*13:とある記事で盲を開かされたのだが、考えてみれば確かに、機上でのCAさんの被害は条例ではカバーが難しいな。7割の方が被害体験あり、というのはひどい。お恥ずかしながら初めて知った。

*14:「司法面接」と呼ばれる手法によるもの。「性犯罪に関する刑事法検討会」第2回会議で仲先生がご提出された資料がとても参考になる。

*15:ここ、こういう理解で良いのだろうか。つまり、321条の3ができたことで、捜査機関側としては、被害者聴取は早期1回きりの司法面接が肝要であり、従来のような、長時間の詳細な調書作成、つまりは聴取は控えるべきだし(少なくとも公判対策としては)意味が乏しい、と考えるようになるものと想定したのだが。

*16:第三回部会議事録p20。

*17:第10回議事録p23の浅沼幹事発言等。

*18:「アルコール…の影響があること」「により、同意しない意思を形成…することが困難な状態」「にあることに乗じて」性交等した場合は177条の罪に該当してしまうわけだけど、これ、弁護士の立場としては、特に怖い。

*19:第10回議事録p21にある小西聖子委員(武蔵野大学教授)発言(「性的な暴力に関しては特に偏見が多い社会の中で、意識を変えていくためには、やはり条文にどういうことがよくないのかということを具体的に例示していただく必要があると思います。」)。これは公益的見地から勇気を出して私見を述べるが、謙抑性が求められる刑罰法規に対してそういう機能を期待するのは委員として不見識だし、非難に値する発言だと思う。

*20:言ってるそばから新しいニュースに接したのだが、「『経済・社会的関係に基づく不利益の憂慮』に関し、どのような関係性か不明確で、運用注視が必要だ」って…寺町先生、それどういう意味です?改正法の文言の不明確性なんてずっと言われてることじゃないですか、何を今さら仰っているのですかね。それとももしかして、狭く解釈運用されることに対するご懸念の表明なんでしょうか。

*21:さらにさらに言ってるそばから、今年の司法試験の刑法短答(7/16実施)で、「試験実施時既に改正法が施行されているにもかかわらず(7/13施行)旧法を前提とした問題を出してしまい、しかも「旧法を前提として解答せよ」ってアナウンスをするのを忘れてたから、どうするか委員会で検討してるぜ。」という案内文が法務省HPにアップされた。当記事のネタ2つがどストレートにかぶっていてちょっとびっくりしているし、仮に没問になるとすると相当珍しい事態だって意味でも驚きである。

【判例その他】ある懲戒事例をめぐって

(約10,200字)

 

月刊『自由と正義』*1巻末に、ある懲戒事例が載りました。弁護士としては引っ掛からざるを得ない事例です。
自分の思考の整理のために、少し記事を書いてみたいと思います。

 

『処分の理由の要旨』として書かれている内容は、以下のとおりです。

被懲戒者は、Aから委任を受けたBとの離婚訴訟において、AがBの自動車にGPS装置を取り付ける方法によって、6か月近くにわたり、夫婦関係破綻により別居していたBの行動を監視していたこと等を認識しながら、2019年1月31日頃、上記GPS装置の位置情報の履歴を、証拠として提出した。
被懲戒者の上記行為は、弁護士職務基本規程第14条に違反し、弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。

 

処分の内容は、戒告でした。

 

 

1.まず真正面から建前論を考えてみる。*2

⑴ 規程の条文との関係について

まず、処分理由要旨の第二文に着目したい。後段の、規程56条1項違反=品位を失うべき非行云々は、どの懲戒事例についても付いてくるフレーズだからさしあたり無視していい。対して、前段にある規程14条違反というのは、多少、注目に値する。

弁護士職務基本規程14条
:弁護士は、詐欺的取引、暴力その他の違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。

さて、この事例、もっか、某SNSの法曹関係者界隈でもいろんな意見が出ているところ、議論の的を一言で言うなら
「これで懲戒って、どうなの?」
というものであり、その是非を語る上で着目されている要素は、大きく、
①当該行為はどれくらい悪質だと言えるのか(悪質なら、懲戒やむなし)
②当該証拠を提出することが、訴訟戦術上、どれくらい意味があったのか(無意味に近いものをわざわざ提出したなら、懲戒やむなし)
の2つである。
しかし、規程14条との関係に限って言えば、少なくとも素直に考える限り、上記②の観点は持ち出しづらいのではないだろうか。だって文言からすれば、「不正な行為を…利用し」たと言えるかどうかだけが問題で、その行為の訴訟戦術上の有用性いかんは関係ないもん。

 

ただ他方、上記議論の関心は、要するに、
「この事例で懲戒になることを前提として、今後自分たちは、何に気をつけて、どう業務遂行していくべきなのか」
の一点に尽きる。そして、規程14条違反が付いて来ようが来まいが56条1項に引っかかるなら、結局、懲戒になることに変わりはない。
また、(これは後にも触れるが、)そもそも懲戒されるかどうかの判断の中立公平性に多少の疑義がある現状を踏まえると、懲戒委員会が懲戒の根拠をどこに求めたかについても、機関雑誌の記載ぶりをどこまで真面目に受け止めるべきかは程度問題ということになる。
とすると、のっけから雑なことを言ってしまうことにはなるが、議論に当たって、根拠に14条が挙げられていることにこだわって上記②の観点を潔癖に捨象してしまうのは、あんまり生産的ではない。

まぁ、「そういう問題も確かにあるな」、くらいの認識で軽く頭に入れておく、という程度で良いのかな、と思う。

 

⑵ 考慮要素相互の関係について

そういうわけで、改めて議論の土俵を設定しておく。緩く、(この事例における弁護士の行為が)「品位を失うべき非行に該当するかどうか」、又はさらにシンプルに「懲戒相当かどうか」という設定の仕方をしておくことにする。その方が、我々の行為規範として、むしろ汎用性が高くなると考えられるから。
そして、そうした場合、当該判断は、上記①(行為の悪質性)と上記②(行為の有用性)の双方の観点から相関的になされる、とひとまず考えることができる。つまりは、
・悪質性が多少高くても、その訴訟戦術上の有効性が高ければ、弁護士はあくまで依頼者のために働く存在である以上、懲戒相当とまでは言えない、という判断もあり得るし、
・他方、訴訟戦術上の有効性が低いなら、悪質性が多少低かろうが、弁護士たるもの李下に冠を正すべからず、懲戒相当である、という判断も一応、あり得なくはない、
…ということになるのかな、と思う。*3

 

もっとも、両者の観点が完全に別個独立ではないところが少しだけややこしい。すなわち、民事においても違法収集排除があり得る、という話。
雑駁に言えば、悪質性の高い方法で収集された証拠は、証拠能力を否定される、つまり、訴訟において証拠として使えない。
したがって、悪質性も程度が過ぎると(上記①の観点)、有効性も否定される(上記②の観点)、ということになる。

 

⑶ 整理その1

整理するとこうなる。

ⅰ まず、悪質性が高くて証拠排除される程度に及んでいる場合は、訴訟戦術上も有効性を欠く。よって、懲戒されたとしてもやむを得ない。多分、ここは異論がない。
ⅱ 他方、悪質性がやや高いが証拠排除までは行かないかな、という場合や
ⅲ 悪質性が低い場合は、どうすべきかにつき議論があり得る。

 

…しかし、ⅲについては、懲戒すべきではないと思う。あくまで私見だけれども、少なくとも、いわゆる街弁界隈においては、これもあんまり異論はないのではなかろうか。
弁護士倫理は大切だとしても、そもそも証拠価値の評価についても絶対的な指標があるわけではない中、会が証拠価値まで踏み込んで事後的神様目線で判断すること自体、僕はものすごく抵抗がある。
それに、事件処理上の価値を決めるのは訴訟戦術上の有効性が全てでもない。依頼者からすれば、負け筋であればあるほど、徹底的に戦って初めて納得できる(そうでなければ納得できない)、ということもある。負け筋である以上、どんな証拠を出そうが訴訟戦術上は無意味だとも言えるわけで、その場合に手足を縛られ過ぎると、弁護士としては到底、依頼人の納得を得られない。
無論、そのあたりも含めて細かな事情を酌んだ判断をすればいいじゃないか、という考えもあり得る。ただ、仮に会にそのような判断ができるのだとしても、その結果として懲戒相当とされた場合、細かな事情は90%が省略され、要旨と結果だけが機関雑誌に載る。その場合の弁護士全体への萎縮効果は無視すべきではないのではないか。

 

以上の理由から、僕としては、上記ⅲの類型については、相当に例外的な場合、例えば、弁護士がいれば十人中九人が無意味な場外乱闘と評価するような事案で、依頼者が強く望んだわけでもないのに、弁護士が暴走したようなケースを除いて、懲戒すべきではないと思う。

 

⑷ 悪質性が相当程度の場合について

対して、ⅱ(悪質性がそれなりに高い場合)は、人によって考え方が分かれ得るような気がする。なので自分も、少し丁寧に考えたい。
で、ここまでは「悪質性」という表現を敢えてボヤッと使ってきたが、厳密に言うと、
ア 当該証拠獲得のために当事者が行った行為が「悪質だ」、という場合
イ「不正の手段を弁護士が積極的に主導した」という意味において、当事者ではなく弁護士の行為が「悪質だ」という場合
2つに分けて考えることができるし、分けて考える必要がある。審議に当たる会に対しても、ここは厳密に区別して判断することを求めたい。


ところで、一応、
「訴訟上証拠排除されないようなケースなら、そもそも(一律)懲戒不相当とすべきではないか。両者の基準を分離してしまうと、かえってややこしいではないか。」
という議論があり得る。懲戒委員会には外部委員として裁判官も入ることを考慮すると、確かに、両方の基準は揃ってないとおかしんじゃないの、とも思える。
しかし、証拠排除するかどうかの判断は証拠を収集した訴訟当事者の行動に着目して*4なされるのに対して、懲戒すべきかどうかの判断は純粋に弁護士の行動だけを見て判断されるわけなので、ここは基準は別に考えるべきだろうと思う。
要するに、弁護士に、その職務の公共的側面に照らし、高めの注意義務が課されるのはやむを得ない。
したがって、弁護士が積極的に主導して不正の手段で証拠収集した、というケース(上記イの場合)については、懲戒はやむを得ないと思う。

では、その場合に、当該証拠の証拠価値が高かった(と考えられた)ことをもって、例外的に当該弁護士が救済され得るか?
個人的には、それは難しいのではなかろうか、と思う。
そもそも、証拠収集手段の悪質性の程度がそれなりに高いことを前提とする限り、規程56条1項以前に、14条の「不正な行為を…利用し」たとの要件が充足される可能性が高い。そして、56条1項は規程における一般条項みたいなものであるから、14条違反に該当するとなれば、それは同時に、56条1項違反も構成することになると考えられる。
そうすると、証拠価値との相関性という観点を問題とする余地というか、必然性じたいが消失する。


他方、弁護士主導ではなく当事者主導のケース(上記アの場合)では、証拠価値の高低も考慮に入れて然るべきだと思う。
証拠価値が高いものを当事者が使いたいと希望している場合に、代理人弁護士がそれを止めるのは相当に困難だし、それでも止めるべきだとすれば、よほど悪質性が高いがために依頼人が刑事責任を問われる可能性があり、証拠提出することがかえって依頼人の不利益となるようなケースに限られると思う。そしてそれは、もはや証拠排除(前記ⅰ)のレベルに至っていると言っていい。

ちょっと違う角度から言うと、より着目すべきなのは、弁護士が当事者の行為・希望を抑えられる可能性がどれだけあったかだと思う。証拠価値の高低は、その考慮要素の一つ*5という位置づけになるのではなかろうか。ほかに例えば、証拠価値が低くても依頼人当事者が「どうしても」と強く希望するのであれば、代理人弁護士としては証拠提出せざるを得ないこともあり得る。その場合にも懲戒というのは、さすがに酷ではなかろうか。

 

⑸ 整理その2

以上、場合をやや細かく分けて検討してきたが、無論、これらの差異は量的なものである。例えば違法収集証拠として証拠排除されるかどうかも截然とした基準があるわけではないから、前記ⅰとⅱは本来、連続的なものではある。
これを踏まえつつまとめてみると、一応、次のようになる。

a 証拠収集過程の違法性/悪質性が高くて証拠排除される蓋然性が認められるようなケースであれば、依頼人当事者にとって訴訟上無益などころか、かえって不利益が生ずることになり得る。よって、懲戒相当と判断されてもやむを得ない。
b 違法性/悪質性の程度がaにまで至っていなくても相当程度は認められる場合で、(bー1)当該行為を弁護士が積極的に主導したようなケースでは、やはり懲戒相当となる。対して、(bー2)弁護士による積極的主導が認められないケースでは、諸事情を総合考慮し、当該証拠を提出することを弁護士が抑止できる現実的可能性がどの程度あったかを判断すべきである。
c 違法性/悪質性の程度が相対的に低い場合、よほどの特別事情が認められない限り、懲戒不相当とすべきである。

 

⑹ 本件への当てはめ

では、本事案についてはどうか。
理由の要旨第一文を再掲すると、次のとおりでした。

被懲戒者は、Aから委任を受けたBとの離婚訴訟において、AがBの自動車にGPS装置を取り付ける方法によって、6か月近くにわたり、夫婦関係破綻により別居していたBの行動を監視していたこと等を認識しながら、2019年1月31日頃、上記GPS装置の位置情報の履歴を、証拠として提出した。

・6か月もの長期にわたるGPS監視ですから、プライバシー侵害の程度も高いです。違法性/悪質性が低いとは言えないでしょう(cの類型ではない)。
・他方、素朴に考えれば、6か月間もの監視の結果として得られた証拠であれば価値は高いようにも思えます。ただ、逆に、それだけ長期間の行動を示さないと推認力が生じない程度のあやふやな証拠だった、ということも考え得ます。そもそも何を証明するための証拠だったかも不明である以上、証拠価値の高低は何とも言いようがありません。また、当事者の強い意向があったかどうかも分かりません。(b-2の類型に当たるかどうかは、不明)。
・「Aが…監視していたこと等を認識しながら」、という箇所の書きぶりは、ひとつのポイントです。この表現からすれば、弁護士が積極的に主導したケースではないことが読み取れます(bー1の類型ではない)。
・もう一つ、「夫婦関係破綻により別居していた」B、というところも、実はポイントです。このようなBの車にGPSを取り付けるには、素朴に考えて、住居侵入罪を犯す必要があります。他方、仮に「住居」以外の場所で取り付けたのだとしても、GPS装置を取り付けて行動を監視する行為自体、ストーカー規制法に引っかかる可能性はそれなりにあります。*6そのような刑事罰該当行為により得られた証拠は証拠排除される蓋然性がありますから、aの類型に当たる可能性もあります。ただし、はっきりしたことまでは分かりません。

 

⑺ 小括

結論として、

「処分は妥当だった可能性もあるが、いかんせん事情が不明すぎて何とも言えない」

と言わざるを得ないです。

機関雑誌における公告で理由の要旨を明らかにすべきとされている(対して、官報による公告では理由の要旨は明らかにしなくてよい)のは、機関雑誌を目にする弁護士個々人に対して爾後の行為規範を定める材料を提供するとともに、江湖の批判を仰ぎ処分の客観的公正性を担保するためであるはず。
そのためには、処分のポイントとなった事情について、もう少し詳しい摘示が必要なのではないかなあ、と思う次第。

 

ここまで、正面から考えてみました。
実際、弁護士は、依頼者の方の自力救済的な行為に待ったをかけないといけない場合が多いです。でも、我々が飛び込む先は人同士の全人格賭けたデスマッチなのであって、空疎な理想論で依頼者を掣肘するわけにはいかない。バランスは常に必要だし、それは宙空から勝手に湧いてくるわけではない。
なので、自分なりにではあるけれど、詰めて考えてみました。自分自身のために。また、この記事を読んでくださった方にとって少しでも参考になれば、もちろん、とても嬉しいです。

…のだけれど。

 

 

2.汚い話。

懲戒委員会の沙汰は、果たして本当に、法律家的な論理に則り、公正に行われているのか。遺憾ながら、そこには疑義があると言わざるを得ない。
実際、自由と正義にこういうボーダー的事案が載ると必ず、
「この先生は会務をあまり熱心にしてなかったんだろうなぁ」
という趣旨の呟きが複数湧く。それも会の内幕を知っている層から。

実際、地縁的呪縛の濃い地方で、弁護士内輪の裁きが人間関係相関図を超越した形で下されているとは、正直、想像し難いものはある。
他方、東京は東京で、弁護士会自体三会に分かれている上、会内部にも堂々と派閥が存在している。どんなに厚顔でも、内ゲバと無縁だなんてとても言えないと思う。

僕自身はといえば、綱紀や懲戒の現場を直に知っているわけではない。
ただ、少なくとも、懲戒請求されたら委員会や派閥の偉い人、修習時の弁護教官を頼って万難を排せ、というアドバイスは実際に受けたことがある。
また、以前勤務していた事務所のボス弁が、依頼者から懲戒請求を受けるや右往左往し(元検察官のため、たぶん、そういう時の身の守り方を誰にも教わる機会がなかったのだろうし、会内部の人脈にも乏しかったのだと思う。)、当時の姉弁の助言に従って元弁護教官に泣きついたのも目の当たりにした。あの時のボス弁の発言の数々を思い出すと、今でも、有り体に言って胸糞が悪くなる。

言うまでもないことだけど、尊敬できる先生はいっぱいる。自分の弁護修習指導担当とか。
でも、良心的な先生の声は往々にして小さいし、ご自身の人望を謙抑的な形でしか使わない。どうしても、押しが強さを人間的魅力と勘違いしてる向きの政治力に押されてしまう。
なので、こういう微妙な事案に接すると、
「もしかして、上層部の思惑の贄にされてしまったのかな…」
と疑ってしまう自分がいる。

こういうこともあるから尚更、微妙な事案こそ理由の要旨を詳しく書いてよ、と切に願う。

 

 

自分や同期が今後、いつまでこの仕事を続けていけるかわからないが、我々が若手とは言えなくなった時、少しは、今より風通しの良い会になっているといいのだけれど。

 

 

 

 

 

メモ1:懲戒処分の公告及び公表等に関する規程について

自由と正義の各公告の頭書き部分にはいつも、
「××弁護士会がなした懲戒の処分について、同会から以下のとおり通知を受けたので、懲戒処分の公告及び公表等に関する規程第3条第1号の規定により公告する。」
と書かれています。今まで完全に読み飛ばしていたのですが、今回、一応条文を見てみました。

懲戒処分の公告及び公表等に関する規程3条(懲戒の処分等の公告)
:連合会は次の表の上欄に掲げる場合においては、それぞれ当該中欄に掲げる公告する媒体に当該下欄に掲げる事項を掲載して公告する。
[上欄:公告する場合] 1号:弁護士会から法第64条の6第2項の規定による弁護士又は弁護士法人を懲戒した旨の通知を受けたとき。
[中欄:公告する媒体] 官報
[下欄:公告する事項] イ 懲戒の処分をした弁護士会の名称
           ロ 対象弁護士にあっては、その氏名(職務上の氏名を使用している者については、職務上の氏名を併記する。以下同じ。)、登録番号及び事務所
           ハ 対象弁護士法人にあっては、その名称、届出番号並びに主たる法律事務所及び懲戒に係る法律事務所の名称及び所在場所並びにそれらの所属弁護士会の名称
           ニ 懲戒の処分の内容
           ホ 懲戒の処分が効力を生じた年月日
[中欄:公告する媒体] 機関雑誌
[下欄:公告する事項] イ 懲戒の処分をした弁護士会の名称
           ロ 対象弁護士にあっては、その氏名、登録番号及び事務所
           ハ 対象弁護士法人にあっては、その名称、届出番号並びに主たる法律事務所及び懲戒に係る法律事務所の名称及び所在場所並びにそれらの所属弁護士会の名称
           ニ 懲戒の処分の内容及び理由の要旨
           ホ 懲戒の処分が効力を生じた年月日

 

…というわけで、『理由の要旨』が載るのは自由と正義だけで、官報には乗らないんですね。
恥ずかしながら、初めて知りました。

 

メモ2:民事訴訟における証拠排除について

民事訴訟の場合、(刑事訴訟と違って、)収集方法の不正性に着目して証拠能力が制限されることは、基本的には、稀です。
リーディングケースとされる東京高等裁判所昭和52年7月15日判決は、

「その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて、人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格的侵害を伴う方法によって採集されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け*7、その証拠能力を否定されてもやむを得ない」

と述べました。一応有名な定式ですが、事案(酒席での発言を隣室で無断録音した。)の結論としては証拠能力を肯定したものであり、限界を見極める上でどこまで有用かにはやや疑問があります。

 

ところで、わりとどうでもいいことなんですが、「民事訴訟における違法収集証拠の問題」という言い方をする場合、よく考えると、「違法」っていう表現が相当漠然と使われてるんですよね。これも今回初めて気付きましたけど。
刑事訴訟における違法収集証拠の問題の場合、それはそのまま、「刑事訴訟法上違法な方法で収集された証拠の証拠能力の問題」ですから、違法の意味は明確です。すなわち刑事訴訟法上の違法。
それに対して民事訴訟におけるこの問題の場合、かなりざっくりと、「不当不正な手段で集められた証拠」という意味で「違法収集証拠」という言い方がされています。上記昭和52年高判にしたところで酒席での無断録音であり、刑事法規に触れるわけではないですから。

 

メモ3:ストーカー規制法について

まず罰則から行くと…

ストーカー行為等の規制等に関する法律
18条:ストーカー行為をした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
19条
1項:禁止命令等(第5条第1項第1号に係るものに限る。以下同じ。)に違反してストーカー行為をした者は、2年以下の懲役又は200百万円以下の罰金に処する。
2項:前項に規定するもののほか、禁止命令等に違反してつきまとい等又は位置情報無承諾取得等をすることにより、ストーカー行為をした者も、同項と同様とする。

「ストーカー行為」をした者がさらにそれを反復するおそれがある場合、公安委員会は、禁止命令を出すことができることになっています(法5条1項)。
で、「ストーカー行為」は、その禁止命令がなくても犯罪として刑事罰対象にはなるのだが(18条)、禁止命令があるにもかかわらずそれに違反した、という事情が加わると、刑が加重される(19条)、という建付けになっています。

その「ストーカー行為」を定義しているのが、法2条です。まず4項から見ると…

ストーカー行為等の規制等に関する法律2条4項
:この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(…)又は位置情報無承諾取得等を反復してすることをいう。

この後段の「位置情報無承諾取得等」が本事案に関わる部分で、3項で定義されています。これ、実は、かなり最近(令和3年)の改正で入った条文です。

ストーカー行為等の規制等に関する法律2条3項
:この法律において「位置情報無承諾取得等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
1号:その承諾を得ないで、その所持する位置情報記録・送信装置(…)(…)により記録され、又は送信される当該位置情報記録・送信装置の位置に係る位置情報を政令で定める方法により取得すること。
2号:その承諾を得ないで、その所持する物に位置情報記録・送信装置を取り付けること、位置情報記録・送信装置を取り付けた物を交付することその他その移動に伴い位置情報記録・送信装置を移動し得る状態にする行為として政令で定める行為をすること。

GPSの取付けとそれによる位置情報取得行為は、ドンピシャで当てはまりますね。
ただ他方、本事案で、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」が認められるかは不明です。訴訟における証拠収集目的は、好意感情/怨恨感情を充足する目的とは違いますから。

 

 

 

*1:日弁連発行の機関雑誌。毎月発行され、会員弁護士の登録先事務所に送付されてくる。詳しくは本文リンク先をどうぞ。

*2:事例の蓄積があるわけでもない(と思う)ので、純粋に、私見を述べるだけである。事例実証的な考察はできていない。

*3:なお、仮にそうだとすると、前者のケースにおいては懲戒請求者が納得するのは簡単ではないことになる。今回の事例も含め、この種のケースにおける懲戒請求者は基本、依頼者の紛争の相手方であることが想定される。その者としては、訴訟戦術上有効だったからこそ憤懣おさまらず懲戒請求に及んだ、ということも十分あり得るわけで、それなのに「(確かに悪質だったけど)訴訟戦術上有効だったから懲戒しません」という理由付けをされたとすれば、火に油であり過ぎる。ただしこれは、率直に言って「だから何だ?」という話であって、弁護士があくまで依頼人の利益を最大化すべき存在である以上、(職務の公益性とは無関係な次元で)上記結論は必然だと言わざるを得ない。

*4:厳密には、「証拠収集したのが当事者か代理人弁護士かにかかわらず」

*5:ただし、大きな考慮要素ではある。証拠価値が高く依頼者も提出に積極的という場合に無理に思いとどまらせ、結果、訴訟も敗訴したとすると、逆に、依頼人から懲戒請求を受けかねない。その場合、証拠価値は高くないが依頼者が提出に固執した、というケースと比べ、懲戒請求が通ってしまう客観的可能性がそれなりに高い。とすると、それでも証拠提出するな、依頼人を説得せよと言われると、弁護士としては進退窮まる。

*6:厳密に言うと、2019年=平成31年の1月に証拠提出したとありますが、当時はストーカー規制法改正前ですから、行為当時の刑事法規には触れません。もっとも、当罰性のある行為であることは変わりない一方、ここでの問題の焦点は民事訴訟上証拠排除されるかどうかであり、当罰性があれば証拠排除される蓋然性も認められます。そこでは、行為当時の刑事法規に厳密に触れるかどうかは二次的な問題ですから、本文では、そこは捨象して記述しました。

*7:本文の方で「民事訴訟における違法収集証拠の問題と言う場合、「違法」が曖昧な意味で使われている」などと書きました。この判旨の言う「それ自体違法の評価を受け」のくだりの「違法」も、中身は空ですよね。証拠能力を否定するための理論的な繋ぎとして、「そういう証拠を使うこと自体が民事訴訟法上違法だ」、と言ってるに過ぎないわけで。

【雑感】刑事弁護の自問自答

(約3500字)

 

 

当番接見*1に行ってきたのですが、私選弁護人を選任済みとのことだったので、受任することなく帰ってきました。
それを聞いた時、具体的状況に照らしてちょっとだけ心配なことがあったのですが、既に上記状況になっている以上は僕がどうこう言うべきことじゃないと判断し、勇気付けだけ笑顔でしてきました。

 


地方と違い東京は弁護士がいっぱいなので、基本、当番は年に数回しか回ってきません。
なので逆に、当番日前後には、ふと過去の弁護活動を思い出したりすることもあります。

 


そんな本日の雑感は、
「どこまで踏み込むかって、難しいよ」
ということ。

 

 

 

どこまで踏み込むか。

実務の多くを占める認め事件*2における量刑弁護のあり方についての見解として、一方の極には、弁護人も被疑者・被告人の方の内省深化・更生を促すことに重点を置くべし、とする考え方がある。
ゆえに、弁護人も被疑者被告人に優しければいいってもんじゃないのだ、むしろ全然違うのだ、と。*3
別に精神論だけの話ではない。
被疑者被告人の利益よりも優先すべき社会的使命がある、という話でもない。更生こそが長い目で見れば被疑者被告人の究極的利益に適うのだ、という話でもない。いや、その種の立場から上記見解に与する向きも間違いなくありはするのだろうが、そういうお考えについては、さしあたりここでは措いておく。
量刑弁護のあり方として、現実的な意味もある。
すなわち、ひとまず公判段階を想定すると、被告人質問において検察官からの反対尋問で無反省が露呈してしまうのは印象が悪い。よって、先行する弁護人からの主質問で、厳しい質問は先回りして聞いておくのが一つのセオリーではある。
これは、口で言うほど簡単なことではない。むしろ難易度は高い。弁護人として刑事弁護をやったことがないとなかなか実感が湧かないところだと思う。
当たり前だが、先回りの厳しい質問に対して何もせんでも模範解答を答えてくれるような被告人なら、そもそも苦労しない。
また、表面的に模範解答を答えただけで済む話でもない。どうせ反対質問で検察官から追及される。「あんたさっき××って言ってたけど、実際には△△したじゃん、言ってることとやってることが違うじゃん」、みたいなやつ。その場しのぎの口先三寸で凌げるほど甘くはない。
要は、公開法廷*4での全供述・全態度プラス全証拠(情状証人の話も含む。)ときちんと整合する形で、百戦錬磨の検察官と刑事裁判官に対し、「ある程度は反省してるみたいですね」、と腹落ちさせないといけない。
そして、そのためには、被疑者段階から落ち着きどころを考えつつ、そこに向かって誘導したり説得するようなこともしないといけない。
無論、それなりの信頼関係が前提になるが、その前提を満たすところからしてハードルは低くない。

 

閑話休題。認め事件における弁護士の活動のスタンスの話です。
そんなわけで、(むしろ)弁護人こそ、ご本人に接するに当たって厳しさを忘れてはいけない、みたいな考え方がある。
それこそが量刑対策上最も有効な実践的手段であるし、その過程で被疑者被告人と膝を詰めて話をし、説得を試み、時には衝突しつつも信頼関係を醸成し、事件について共に振り返り、今後について真摯に話し合うことこそが、被疑者被告人の方の真の更生に資するのだ、これこそが量刑弁護の王道なのだ、と。

 

 

 

 

 

…さて。
仮に上記を法曹以外の方が読まれた場合、どんなふうにお感じになるんでしょうね。これは純粋・率直な疑問です。
熱さを感じてくださるのだろうか。
それとも、反感をお感じになるのだろうか。

 

 

 

 

 

僕自身は、弁護士登録後数年は、上記のようなスタンスでやってました。今でも、理想はそうあるべきだ、と思っています。
ただ、たとえ社会的使命感なり責任感なりから出たものであれ、弁護人だからって*5人様の人生に責任持てるわけではない、それは思い上がりというもんだし、そうである以上、口の出し方にも自ずから限度があるはずだ、とも思っています。*6

 

 

もちろん、言うことは言うってのは前提で、その先の話ですが。
そんなことを考えつつ、「さて、今日のあれは、あれで良かったのかな」、と自問自答しながら電車に乗ってました。

 

 

 

 

 

…と、そしたら、なんともアレな記事が流れてきたのでびっくりした、というお話。
記事内容についてはノーコメントです。悪しからず。

 

 

 

 

 


ふう。
締めくくりに接見関連の豆知識メモ2つ。

 

弁護人選任届の提出先

弁護士的には検察庁に出すことが多い弁護人選任届(弁選)ですが、送検前は警察署に提出します。
(なお、起訴後に出す場合は受訴裁判所に提出することになる。)
送検前である以上、検察庁には事件そのものがまだ来てませんから、弁選持ってこられても受け付けしようがない、という話。
そうである以上、こっちとしては警察に出すしかないし、警察の方で一件記録といっしょに検察に送ってもらうしかない。

 

わりと分かりやすい話のはずなのだが、警察署の方が不慣れで、「えっ、ここで出されても困ります」的な反応をされることもある。
僕の場合、受領拒否をされたことはないですが、「えっ…と、これ、受け取っていいんだっけ?」みたいな反応をされたことはあります。すぐそばにベテランの方がいらしたので揉めずに済みましたが。
上記取扱いにつきストレートに定めた条文はないみたいですが、次の2つの規定は、警察署に提出することがあり得ることを前提に書かれています。よって、これらが根拠規定だと言えなくもない。
覚えておくと話が早いのかもしれない。

刑事訴訟規則17条
:公訴の提起前にした弁護人の選任は、弁護人と連署した書面を当該被疑事件を取り扱う検察官又は司法警察員に差し出した場合に限り、第一審においてもその効力を有する。
犯罪捜査規範133条1項
:弁護人の選任については、弁護人と連署した選任届を当該被疑者または刑訴法第30条第2項の規定により独立して弁護人を選任することができる者から差し出させるものとする。

 

…ただ、ここでまごついた場合、今度は、弁護士の側が受領印付きの控えをもらうのを忘れる、ということが起こる。
・弁護士サイド的には、検察に持ってく場合はコピーを印刷して「受領印ください」って渡すけど、警察で提出する場合、そもそもその場で被疑者に署名してもらうから、控え自体の用意がない。
・警察サイド的にも、受け付けること自体が不慣れである以上、当然のことながら、検察庁みたく「控えに受領印押します?」なんて聞いてはくれない。
僕、一回、やらかしました。まぁ控えなんて念のためにとっとくだけですから忘れても支障はないんですが、その時は多少不安になりましたね。気をつけよう。。

 

 

いわゆる微釈について

「送検って絶対されるんすか?」って、時々、被疑者の方から聞かれます。絶対というわけではなく、微罪処分なるものがある。

刑事訴訟法246条
司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。

このただし書部分が、微罪処分の根拠になる。各地検が基準を定めていて、「こういうやつは、検事正への報告だけで済ませていいよ」、という取扱いにしてる。
司法試験の勉強的には意外と盲点になりがちだし、基本的には警察内で完結する話なので弁護士業務的にもあんまり絡みがないところですけどね。

犯罪捜査規範198条
:捜査した事件について、犯罪事実が極めて軽微であり、かつ、検察官から送致の手続をとる必要がないとあらかじめ指定されたものについては、送致しないことができる。

「検察官から送致の手続をとる必要がないとあらかじめ指定」というのは、罪名で指定されている。
なお、告訴告発があった場合については警察官に送検義務があるから微釈はできない。よって、それとの関係上、親告罪は指定罪名から除かれることになる。親告罪は相対的に軽微な犯罪が多いので、ある意味では捻じれてますね。

刑事訴訟法242条
司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない。

他方、「犯罪事実が極めて軽微」の部分では、被害額の程度や回復の有無、被害者の処罰感情も考慮されているとされる。

 

 

 

 

 

*1:日弁連のご案内ページは、こちら

*2:被疑事実/公訴事実を被疑者/被告人の方が認めている事件類型。

*3:ホントかどうかは知らないが、昔は被告人質問(主質問)の間中、法廷で被告人を怒鳴りつけ続ける弁護人とかいたらしい。

*4:複数前科ある被告人でも緊張しますからねあれ。

*5:弁護人に選任されることは白紙委任の意思表示なんかじゃないからね、いかなる意味においても。

*6:ちょうどこのあたりのことにモヤモヤしつつもその中身をうまく言語化できていなかった)時、ある先生のこの呟きに接して膝を打ちました。

【ニュース】2022年を振り返ってー阿武町事件②

(約7600字)

 

 

 

阿武町事件の続きです。
「うおっ!?」と思わされた点の2つめですね。引き続き、備忘がてらではありますが、解説を試みてみます。

 

 

 

 

その2:「これ、電子計算機使用詐欺罪なの?」

昨年5月18日、山口県警は、Aさんを、電子計算機使用詐欺の被疑事実で逮捕しました。
で、年末、公判における検察官論告のニュースが流れてきました。2022/12/27結審、懲役4年6月求刑。

そうそう。例によってリンクは貼りませんが、Aさんの某SNSアカウントをお見掛けしました。腹括って地に足付けていらっしゃる感じの。
外野から論評するのもおこがましいですが、凄いです。判決出る前に・世間から逃げずに、あそこまでご自身の行動をご自身の言葉で総括できるって。
ご就職が決まったんですね。心からお祝い申し上げます。
おめでとうございます。

弁護人の先生にも、頭が下がるなぁ。

 

 

脱線しました。電子計算機使用詐欺罪です。今回のが同罪に当たるのか?ちょっとおかしくないか?という話です。
できるだけ簡潔に行きます…。

 

そもそも、問題視されている*1Aさんの行為は何か。

これは、情報を総合して考えると、

Aさんが誤振込みされた4千数百万円の給付金を、ネットバンキングを利用して他の口座に移動させた行為

です。なので、単純化して言って、検察官は、
「誤振込みされたお金を他の口座に移動すると、『電子計算機を使用した詐欺』に当たるんだ」
と言っていることになります。

 

何が問題なのか。

実は、争いの骨子自体は、決して難しい話じゃないんです。


これも雑駁に言って、詐欺ってのは騙して利益を得ることです。

Q:では、今回Aさんは、何か騙すようなことをしたって言えるのか?
検察官のA:そりゃ、振込みは誤振込だったんだから、それをそうじゃないみたく他口座に移動させるのは騙したことになるでしょ。
弁護人のA:いや、誤振込であっても口座名義人は有効に引き出せるんだから、騙したことにはならんでしょ。

議論の途中までは、こんなふうに要約できます。単純でしょ?


このうち、弁護人の主張中「誤振込であっても口座名義人は有効に引き出せる」、という部分。
これを明言したのが平成8年4月26日最高裁判所第二小法廷判決です。阿武町事件における刑事罰を解説した記事とかでは必ず引っ張られてて、「平成8年判決」と呼ばれているものですね。裁判所HPにも判決文はアップされていますから、リンク貼っておきましょうか。
ポイントとなる部分を引用すると:

「振込依頼人から受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である」

最高裁は言っています。
「振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず」という部分があります。この「法律関係」がないにもかかわらず振り込んじゃった、というのが、要するに誤振込です。
なので、最高裁は、通常の振込みだろうが誤振込だろうが、「受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、」「受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得する」、と言っていることになる。

他方、電子計算機使用詐欺罪の条文を見てみますと、次のようになっています。

刑法246条の2
:前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、10年以下の懲役に処する。

長いように思われるかもですが、今回の議論に関係する部分は:
「電子計算機に虚偽の情報を与えて…不実の電磁的記録を作り」
という箇所だけ。あとは無関係か、本事案において該当性に争いはない。

この「虚偽の情報」というのは、入金等の処理の原因となる経済的な実体を伴わないか、それに符合しない情報のことを言うと解されています。典型的には、架空入金ですね。
じゃあ、例えば1万円の誤振込を受けた者が他口座に同1万円を移動させた、という場合に、その手続において「1万円」という金額情報を入力するのは、「虚偽の情報」を入力したことになるのか?
ならないはずなわけですよ。上記平成8年判決を前提に、素朴に考えれば。
だって誤振込だろうが「銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得」してる以上、経済的な実体は厳に存在するわけですよ。誤振込だろうが「経済的な実体」はある。それが平成8年判決の言っていることですから。
である以上、入力された「1万円」という金額情報には、虚偽性なんかない。

よって、同様に、阿武町事件においても、電子計算機使用詐欺罪の構成要件は充足されていない。
したがって、Aさんの行為に、犯罪は成立しない。

上記弁護人の主張は、こういうことになります。

 

為念ですが、ここで、リマインド申し上げる。

罪刑法定主義について。

罪刑専断主義の対立概念。
国民の行為を犯罪として処罰するためには、いかなる行為が犯罪とされ、いかなる刑罰が科されるかが、あらかじめ国民の代表者である議会の制定した法律において明確に定められていなければならないとする考え方。
何が刑罰で何が刑罰でないかは予め国民に告知されていなければならない(それにより国民の自由を確保する)という自由主義手原理と、刑罰法規は国民の代表である議会を通じてのみ決定されなければならないという民主主義原理の上に成立している。

よって、ある行為が道徳的にどうかって話と、同行為に犯罪が成立するかって話は全く別。後者は、あくまで条文ベースで厳密に議論されなければならない。
…というのは、弁護人だけじゃなくて検察官も(裁判官は言うまでもなく)当然の前提にしています。念のため。*2*3

 

 

では、翻って:

じゃあ、警察/検察官はなぜ今回、電子計算機使用詐欺罪で逮捕/起訴したのか?

有り体に言ってしまえば、ここまで世間の耳目を集めた事件で
「犯罪不成立です。仮に成立するとしてもせいぜい占有離脱物横領罪です。」
なんてこと言うのは検察の立場上できないだろうから、*4可能性がある罪名で起訴した、ということではあるんですけどね。
そういう話とは別に、「じゃあ、電子計算機使用詐欺罪なら多少なりとも可能性があると思ったのはなんでか?」、という話。

 

ここからは、正直、ちょっと話がややこしくなります。
また、検察が厳密にどういうロジックを立てているのかは把握のしようがないため、学問的知見をベースとした推測とならざるを得ないのですが、ひとまず私の認識している議論について、ご説明を試みてみます。


おそらく、検察の立脚する論拠は、次のようなものではないかな、と思われます。

民事法領域においては、確かに、平成8年判決は、誤振込であっても有効な預金債権が成立することを認めた。
しかし、民事法と刑事法は別である。刑事法規の解釈はあくまで被告人の行為が当罰性を有するかどうかで判断されるべきである。
そして、本件被告人の行為が当罰的であることは論を俟たない。事実、平成8年判決が出るまでは、誤振込を受けた場合の資金移動は電子計算機使用詐欺罪に当たると解するのが一般的だったはずだ
かつ、判例で言うならば、最高裁は、平成15年3月12日最高裁判所第二小法廷決定において、誤振込を受けた者にはその旨銀行に告知すべき信義則上の義務があると判示し、同義務に違反して払戻しを受ける行為に詐欺罪が成立することを認めた
したがって、本件においても、電子計算機使用詐欺罪の成立を認めるのに支障はないはずだ。

 


「かつ」の前後で、前半と後半に分かれます。重要なのは後半。
ただ、後半を理解するためには前半の理解が必要ですから、そこから解説します。

 

前半。

「平成8年判決が出るまでは、誤振込を受けた場合の資金移動は電子計算機使用詐欺罪に当たると解するのが一般的だった」、という部分。これは、事実です。当時は素朴に、誤振込されたお金を、

  • ①窓口で払戻しを受けたら詐欺罪
  • ②ATMで引き出した場合は窃盗罪
  • ③ATMで他口座に送金した場合、電子計算機使用詐欺罪

が成立すると考えられていました。
ややこしい話なのですが、理屈としては、
①窓口で払戻しを受ける場合、窓口の係員さんを騙しているわけだから、詐欺罪が成立する。
②他方、ATMの場合、人を騙していないから、詐欺罪は成立しない。ただ、ATM内に保管されていた=銀行が管理していたブツである現金を引き出して得ているのだから、窃盗罪が成立する。
③ATM操作による他口座への送金の場合、人を騙していないから詐欺罪は成立しないし、ブツを手にしてもいないから窃盗罪も成立しない。こういう場合に成立するのは電子計算機使用詐欺罪である。
…というものになります。

「こういう場合に成立するのは電子計算機使用詐欺罪」、というのはどういうことか。

実はこの電子計算機使用詐欺罪という犯罪類型ができたのは昭和52(1987)年の法改正によるもので、比較的新しい。で、なぜできたかというと、コンピュータによる自動処理システムの発達により、あくまで人を騙すことを想定した犯罪類型だけでは対応しきれなくなったから。つまり、処罰の隙間をなくすため、詐欺罪の補充類型として作られた。*5
そして、③もまた、詐欺罪で処罰でき(ず、窃盗罪でも処罰でき)ない、処罰の隙間に落ちてしまってるケースなわけですから、これを拾うのが電子計算機使用詐欺罪だと、そういう理屈。

誤解のないように言いますが、電子計算機使用詐欺罪が、まさに誤振込のATM送金ケースを念頭に置いて創設された犯罪類型だ、などということではありません。上記のとおり、典型的に想定されるのは、架空入金とか、他人の口座のお金を権限なく自分の口座に移すとかです。
単に、平成8年判決までは、いわば素朴に、「誤振込の場合も、同じように電子計算機使用詐欺罪であろう」、と考えられていたわけです。

 


ただ、繰り返しますが、これは平成8年判決までの話。
平成8年判決が出た以上、電子計算機使用詐欺罪を認める前提が崩れたことになる。
確かに、民事法と刑事法は別の話だ、という理屈は成り立つ。ただ、そうであるとしても、平成8年判決を全面的に無視していいわけではない。
少なくとも、それまでの素朴なロジックをそのままの形で維持するのは無理であり、より精密な議論をしなければならない。


なので、前記検察側の想定ロジックのうち、後半部分が重要になってくるわけです。

後半部分。

平成15年3月12日最高裁判所第二小法廷決定を問題としています。これは、窓口で払戻しを受けた事案であり、上記①の類型です。
この事案で、最高裁は、次のように言いました。

「記録によれば,銀行実務では,振込先の口座を誤って振込依頼をした振込依頼人からの申出があれば,受取人の預金口座への入金処理が完了している場合であっても,受取人の承諾を得て振込依頼前の状態に戻す,組戻しという手続が執られている。また,受取人から誤った振込みがある旨の指摘があった場合にも,自行の入金処理に誤りがなかったかどうかを確認する一方,振込依頼先の銀行及び同銀行を通じて振込依頼人に対し,当該振込みの過誤の有無に関する照会を行うなどの措置が講じられている。これらの措置は,普通預金規定,振込規定等の趣旨に沿った取扱いであり,安全な振込送金制度を維持するために有益なものである上,銀行が振込依頼人と受取人との紛争に巻き込まれないためにも必要なものということができる。また,振込依頼人,受取人等関係者間での無用な紛争の発生を防止するという観点から,社会的にも有意義なものである。したがって,銀行にとって,払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは,直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない。これを受取人の立場から見れば,受取人においても,銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として,自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には,銀行に上記の措置を講じさせるため,誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。」
「そうすると,【要旨】誤った振込みがあることを知った受取人が,その情を秘して預金の払戻しを請求することは,詐欺罪の欺罔行為に当たり,また,誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たるというべきであるから,錯誤に陥った銀行窓口係員から受取人が預金の払戻しを受けた場合には,詐欺罪が成立する。」

 

要するに、

「誤振込であることを知っていれば、銀行は組戻し等の是正処置をとれるのだから、誤振込か否かは銀行にとって重要な事柄であり、誤振込を受けた者には、そのことを申し出るべき義務がある。
 そして、それをせずに払戻しを受けたなら、詐欺罪が成立し得る。」

と言いました。

詐欺罪が成立するには「人を欺」く行為によって人を錯誤に陥らせて、同錯誤に基づいて財物の交付を受ける(か、財産上の利益を得る)必要があります(刑法246条1項)。
この「人を欺」く行為は、(その後の財物)交付の基礎となるべき重要な事実を偽ることをいうと解されています。

平成8年判決に素直に乗っかれば、誤振込であれ受取人は有効な預金債権を取得するのだから、これの払戻しを受ける行為は何ら「人を欺い」たことにはならないはずです。
平成15年決定は、そこを、

「違うんだ。たとえ有効な預金債権を有していたって、誤振込は誤振込であって、それを知っていれば銀行は組戻しの措置をとるはずであり、受取人に払戻しはしないはずなんだ。
 そうである以上、誤振込かどうかは『交付の基礎となるべき重要な事実』だから、それを隠して払戻しを受けるのは「人を欺い」たことになるんだ。」

というロジックでクリアしたわけです。

 

 

 

じゃあ、ATMでの付替送金も同じじゃないの?

上述の想定検察側ロジックは、そういうことです。

 

 

 

で、どうなの?

となるわけですが、判例も学説の一致もないわけですから、ここから先は個人的見解となります。

私見は、「電子計算機使用詐欺罪は成立しない」、です。

理由は2つ。

1つは抽象的な話で、「詐欺罪と電子計算機使用詐欺罪は、やっぱり違うんだ」、というものです。
すなわち、詐欺罪の場合、財物を交付するかどうかを判断するのは人ですから、「何を知っていれば交付しなかったはずだ、と言えるのか」の部分には解釈の余地があります。だからこそ、その解釈として現在、「交付の基礎となるべき重要な事実」、という定式が存在するわけです。
しかし他方、電子計算機使用詐欺罪は違います。判断するのは機械であり、入力情報が正か誤かで交付の是非を判断します。だからこそ、「虚偽の情報」の入力が要件になっているわけですよ。
つまり、電子計算機使用詐欺罪の場合、罪質上、平成15年決定のロジックを受け付けようがないはずなんです。
で、誤振込の事案で「虚偽の情報」の入力があるかというと、ない。
である以上、やっぱり、電子計算機使用詐欺罪は成立しないだろうと思います。

 

もう1つは具体的な話で、「阿武町の事案では、平成15年決定のロジックは通用しないでしょ」、というもの。
平成15年決定は、「銀行が誤振込を知っていれば組戻しの手続をとったはずだ、払戻しの請求には応じなかったはずなんだ」、というロジックを前提にしています。
しかし、阿武町事件の場合、そもそも町が誤振込を知ったのは銀行から連絡を受けたからであり、Aさんに町から連絡が行ったのは、さらにその後のことなわけです。
つまり、「知ってれば組戻ししたはずだ、だから誤振込を受けたことを申告すべきだ」も何も、銀行は既に知ってたはずなんですよ、誤振込があったことを。
である以上、平成15年決定と同じ理屈が妥当するはずがないんです。

 

 

 

なので、この事案で電子計算機使用詐欺罪を認めようとすれば、少なくとも、平成15年決定のロジックは使えない。別の理屈を立てるしかない。
どういう理屈があるんですかね。

①銀行が誤振込があった事実を知っているかどうかは、誤振込を受けた者には知りようがない事柄のはずだ。したがって、受取人の告知義務は、銀行が事情を知っているかどうかにかかわらず広く認められる一般的義務だ。
②さらに、それは、ATM操作による付替操作の場合にも妥当する義務だ。すなわち、(ATMの入力画面には誤振込の申告欄など設けられていない以上、)受取人には、窓口に行って申告すべき義務があるのだ。
③したがって、それをせずにATMで付替操作の手続をすることは、窓口に行って誤振込の申告をしていない時点で「虚偽の情報」を入力していることに当たると言うべきなのだ。

とかって理屈ですかね。

 

…無理じゃないですかね。
人に対する行為が詐欺罪/機会に対するのが電子計算機使用詐欺罪、っていう垣根を越えて、電子計算機使用詐欺罪の成否において「人」への告知義務を観念しちゃってるわけでしょ。
両罪の区別を根本から崩してる気がします。

 

完全に私の脳内シャドーボクシング、妄想みたくなってるのでこのへんでやめますが。
こういう行為を処罰したいなら、正面から立法によるべきだ、というのが私の見解です。

 

 

 

 

 

また長くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

*1:法的に。

*2:ただ、無論、限界事例における線引きは容易ではなく、解釈論的争いがあるグレーな事案がことごとく白になる、というわけではもちろんない。ただ、「法律の中でも刑法(刑罰法規)については、処罰範囲を広げる方向の解釈は慎重に行わなければならない」、というのは法律家の共通見解であると断言できる。

*3:これもものすごく為念だが、今回の電子計算機使用詐欺罪の成否の結論が罪刑法定主義の原則から直接・明白に帰結される、なんていうことは露ほども思ってないですからね。「こんなん無罪でいいってのかよ?おかしいだろ!変な理屈捏ねてないで何とか犯罪成立させる方向で考えろよ!」みたいな価値判断が、素朴ではあるかもしらんが暴論だ、というだけで。

*4:いや、検察官の仕事は(弁護人の仕事もそうですが)裁判所の判断を先取りして無難な処理をすることではないですから、別に皮肉だけで言ってるわけではないですよ。とはいえ一方で、あの人たち、身内とか与党政治家絡みの場合は矛を収めて不起訴、とか普通にやりますからね。半分は皮肉です。

*5:だから、詐欺罪の直後に条文が置かれています。詐欺罪は246条、電子計算機使用詐欺罪は246条の2。

【ニュース】2022年を振り返ってー阿武町事件①

(約5400字)

 

 

…年末ですね…。

 

今年から普通郵便の配達が遅れまくりになりましたが、出した年賀状は松の内に届くだろうか。
まぁ、気にするなら余裕をもって出せ、という話です。

 


我ら業界はアナクロのため普通郵便の遅延もその一部なのですが、今年も法律・法曹界隈ニュース、諸々ありました。
どこまで含めて法律・法曹界隈と言うかも問題になり得ますが、弁護士の活躍一般まで含めていいなら、統一教会問題での紀藤先生のご活躍は特筆に値すると思います。
個別の裁判案件もいろいろですが*1、国側指定代理人の弁論準備手続の"盗聴"問題は我々にとって衝撃で、相当な怒りを覚えました。
改正法施行もたくさん。民法成人年齢引き下げの施行も4月1日から、それに伴う少年法改正も同日からでした。僕が所属する委員会が扱う法律である公益通報者保護法の改正法施行は6月から。
個人的には、発信者情報開示請求の制度変更は興味深く見てました。もちろん実務へのインパクトは大きいです。
判例だと…音楽教室著作権使用料に関する最高裁判例が出たのは、「長年の問題に決着がついたな…」という感慨が大きかった。

そうそう。小室さん、改めて、本当におめでとうございます。
マスコミに騒がれながら多年度受験で初志貫徹するって凄いことですよ。いやほんとに。自分は到底真似できません。
我ら業界、多年度受験して臥薪嘗胆した人間も多いし、身近にそんな人がいるかどうかで言ったら「全員いる」と言っていいわけですよ。
ならば、こんな時くらい、妙にシニカルぶった辛口コメントして目立とうとしないで皆で祝えばいいのにさ…なんてことを思った報道コメントもあったなぁ。

 

そんな中でも、衝撃度と内容の奥深さの双方で個人的ナンバーワンなのは:
阿武町事件。4630万円事件。

そう、これ、衝撃的なだけじゃなくて、「奥深い」んですよ。
弁護士として身につまされる話や興味深い論点等が、複数あるんです。


当時から「どっかで備忘がてら、まとめておきたいなぁ」とは思ってたのですが日々の雑事に流されてしまっていました。
これが最後の機会のような気もするので、ある程度のことを書き残しておきたいと思います。

 

 

 

 

まず簡単に事案の概要を。

以下、特に断りがない限り、年は2022年。
また、誤振込を受けた方のことはAさんと呼びます。*2

4/6 町職員が誤った振込依頼書を金融機関に提出。*3
4/8 誤送金が実行され、Aさんの口座に4630万円が振り込まれた。金融機関からの指摘で町がミスを認知してAさんの自宅を訪問し、組戻しの了承を得たが、Aさんは、銀行まで同行したところで、「やはり今日は手続しない、後日公文書を郵送してほしい」旨申し述べた。
【紆余曲折あるも…*4
4/21 町職員がAさんの自宅を訪問したところ、Aさんは、「金は既に動かした、もう戻せない、犯罪になることはわかっている」旨申し述べた。
5/9 町が、民事訴訟を行う方針を決定した。
5/12 町が、Aさんに対して全額の返還を求める民事訴訟を、山口地裁萩支部に提起した。また、それとともにAさんの実名・住所を公表した。
5/18 山口県警が、Aさんを、電子計算機使用詐欺の被疑事実で逮捕した。
5/20 決済代行業者のうち1社から、町の口座に、約3500万円が振り込まれた。
【以後、事件は収束に向かった。】

 

4/8より後・4/21より前のとこ、ゴチャッとしてるので「紆余曲折」で丸めましたが、詳しく見ると、次の事実経過があった模様。

4/9 町がAさんと連絡をとろうとしたが、とれなかった。
4/10 Aさんが町に、「知人の弁護士と相談する」旨電話で連絡した。
4/11 町からAさんに連絡とれず。
4/12 町からAさんに連絡とれず。
4/13 町がAさんの母親にAさんの説得を依頼した。
4/14 町(副町長+職員)が、Aさんの母親を同行させつつAさんの職場を訪問したが、Aさんは「弁護士と話す」旨繰り返した。
4/15 Aさんの代理人弁護士から町の顧問弁護士に対し、「近日中に母親立合いの下、組戻しの手続を行うので、日時が決まったら連絡する」旨連絡があった。

 


で、何が問題なのかというと、大きく3つ、だと思う。*5

  • その1:「なんで仮差ししてないの?」
  • その2:「これ、電子計算機使用詐欺罪なの?」
  • その3:「えっ、決済代行業者から回収?…何が起こったの???」

順番に、解説というか、備忘がてら問題の素描メモを残す感じで書いておきたいと思います。

 

 

その1:「なんで仮差ししてないの?」

より広く捉えれば、危機対応全般における依頼者と弁護士の微妙な関係、みたいな感じ。
これ、一法曹としては、一言で言うなら『身につまされる話』、です。世知辛いというか何というか。

その辺の感覚をお伝えできればな、と。

 

そのためには、まずは仮差しについてざっくりご説明しないとですね。
仮差し=仮差押え。
「仮」差押えについて説明するには、普通の差押えについてもご説明する必要があるわけですが、雑駁に・サクッと行きます。

 

1.「差押え」とは

皆さん(非法曹、一般の方)が弁護士に依頼するなり本人訴訟するなりして、原告として、誰かを被告として、「金払え!」という訴訟を提起したとします。
金払えの理由は、貸した金返せでも代金払えでもなんでもいいです。で、めでたく勝訴したとします。主文「被告は、原告に対し、〇〇××を支払え。」、という判決をもらえたと。

…さて、どうなるでしょう?

A:どうにもなりません。そのままでは。

判決が出て向こうが折れて、仕方ないから払います、と任意に払えば、めでたしめでたしで終わりです。
じゃあ、拒否したらどうなるか、というと、どうにもなりません。裁判所が勝手に取り立ててくれるわけではないです。
自分で、取り立てるのです。
そのために、裁判所に、もう一度、申立てをするのです。

私は勝訴の確定判決をもらいました。
なのに被告は金を払いません。
ついては、被告は、△△銀行▽▽支店に◇◇口座(口座番号×××××××)に口座を持っていますから、そのお金を押さえたいです。
なので、そういう命令をください。

と。
この命令、つまり、上記申立てが認められた場合に出されるのが、差押命令です。
以上が、いわゆる「差押え」ですね。
なお、こういう、判決の内容を実現するための手続のことを、執行手続、と呼びます。

 

2.「仮差押え」とは

ここで第2問。

じゃあ、上記差押手続の結果、△△銀行▽▽支店に◇◇口座(口座番号×××××××)に残高がないことが判明した場合、どうなるでしょう?

A:どうにもなりません。

だって、差押えようにもお金がないんだもの。どうしようもないです。手続は空振りで以上終了、とならざるを得ません。

つまり、「金払え!」という訴訟を提起する場合、まずもって、相手に財産がないことにはどうしようもないわけですね。
それに加え、相手が、敗訴しても潔く任意に金を支払いそうにないな…という場合、相手の財産のありか(上記で言えば預金口座情報)も(ある程度)分かっておく必要があります


ただし。
訴訟提起の際、正確には訴訟提起を決意した時点で、ということになりますが、相手に財産があって、それのありかが判明していたとしても、それが訴訟が終わるまでそのままだ、という保証はないわけです。
例えば、訴訟の帰趨を見て、「あ、これ負けそうだわ、やばいな」と相手方が判断した場合、将来の差押えに備え、知られている口座から金を引き上げてしまうことなどは十分考えられますね。
なので、そういうリスクもあり得る、と判断した場合、訴訟を提起するよりもさらに前に、予め、予防策を打っておく必要があるわけです。
それが「仮差押え」であり、裁判所に対して、

こういう訴訟を提起するつもりであり、勝訴の見込みもあるわけだが、相手が財産を動かすリスクがある。
ついては、財産を仮に押さえたい。
なので、そういう命令をください。

と申立てをします。
なお、こういう、判決まで相手方の財産状態を固定するために訴訟提起前に行う手続のことを、保全手続、と呼びます。


…ふう。以上、仮差しのご説明でした。
話を戻します。

阿武町の事案です。


上で事実経過をざっくりまとめましたがそこにあるとおり、4/8の時点で、Aさんの行動は既に「ん?」、という感じになっていて、4/10の時点では早くも弁護士云々の話にまで至っているわけです。
それに対し、誤振込しちゃったお金は4630万円です。自治体規模に比して巨額であることは論を俟たない。
これを放っておくのは危険すぎます。明らかな誤振込であるにもかかわらず返還を渋ってるわけですから、使われるなり隠されるなりするリスクは明らかであり、同リスクが顕在化した場合の町へのダメージは巨大です。
プレスリリースは4/15だったわけですが、本来、その時点では仮差押えの申立てを終えていなければいけなかったはずです。


…ただね、と、ここで話は反転するのですけれども。


今回の依頼者は町です。地方の自治体です。是非はとりあえず措いておくとして、一般論で言えば、日本の地方では何事も穏便に、が基本です。
町として、問題発覚から数日(4/10時点で弁護士に仮差押えを依頼すべきだったと考えるならば、わずか2日)で、スピーディに、
「町民に対して町として訴訟を起こす。かつ、リスクヘッジとして仮差押えもやる。」
という意思決定が、果たしてできるのか。
いや、地方地方と言っちゃあいるが、都市だろうが事なかれ主義は同じではないのか。
そういうことができる自治体が、今の日本に、果たしてどれだけあるのか。

 

弁護士側の問題もあります。
我々弁護士は、慈善事業として法律を扱っているわけではないです。それで生き延びています。ご飯を食べています。家賃を払っています。事務局にお給料を支払っています。弁護士会に会費を払い、そのお金で会が、経済的にペイしない事件類型における被害者救済の事業なんかをやっています。
訴訟だけではなく仮差押えもやるとなれば、別に料金(報酬)をいただきます。そして報酬額は、成功した場合に依頼者が得るであろう利益(経済的利益)と相関するのであり、今回の経済的利益は、4630万円です。
これを、多くの法律事務所が準拠している旧(日弁連)基準と言われるものに則って計算すると、
着手金:(本訴の2分の1とすると、)(4630万円×3%+69万円)÷2=103万9500円
報酬金:(重大事件として本訴の4分の1とすると、)(4630万円×6%+138万円)÷4=103万9500円
となり、合わせて200万円超。
繰り返しますが、これは、訴訟(本訴)とは別にいただく料金です。
また、これは当たり前ですが、料金は、ご依頼をお受けする前に説明し、提示します。
かつ、仮差押えの要否の判断=リスク判断は、性質上、不確定性が伴います。
堂々と言うべきであることとはいえ、先行き不透明な段階で、この額を、訴訟と別料金として呈示しつつ「それでもやった方が良い」と言い切るには、一定の胆力は必要です。

 

ただまぁ、それは弁護士側、こっち側の話ですからいいんですけども*6、問題は、ボールを投げられた町側がどう反応するかなわけで。
それなりの確率で、消極派が勢いを増す結果にしかならないんだろうなぁ…、と思ってしまうわけです。
「ほら、弁護士費用もアレなことですし、元は血税、ウチも懐は厳しんですから、ここはひとつ、穏便に事を運ぶということでいいんじゃないですかね」
と。
このへん、具体的に想像すると、何とも言えない気分にならざるを得ない。*7

 

つまり、この阿武町の事案からは、いざ法的にこれはマズイ!早々に手を打たなければ、っていうデカい問題が緊急に発生した際の意思決定過程の問題みたいなのが垣間見える、気がする。上で危機対応全般の話と書いたのは、そういうことです。
また、仮に仮差しを控えたのが町の意識的判断の結果だったとした場合、それでいて一方で母親巻き込んで、しかも職場に押し掛けるってのも多少モヤッとします。そこまで緊急性高いと判断してるなら正面から仮差しを打ちなよ、と。*8
加えて、少し話は飛びますが、いざ訴訟!となった際、町はAさんの実名と住所を公開しましたが、それもまたどうなの?と思います。そもそもそれを公開したところで訴訟が有利に進められるわけでもないですから、ただの無意味な場外乱闘です。
本件は最終的な結果として中山先生のウルトラCで逆転できましたが、町側の対応、正直、それ以外いいとこ一つもないですよ、というのが私の率直な感想です。


まぁあんまりネガティブなことを言っても始まりませんし、弁護士としては、本件を通じて、リスク判断の重要性や、危機管理的場面における顧問先等とのコミュニケーションのとり方に思いを致すべきなのだろうと思います。
以上、一つ目のお話でした。

 

 


…長くなりました。続きはまた今度にします。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

*1:海外だと、ジョニー・デップさんの裁判とかもありましたねぇ。

*2:まぁ、全国的かつ大々的に報道されましたが、ポリシーとして。

*3:そういえば、そもそもの発端というか背景は、臨時特別給付金でしたね。住民税非課税世帯等に、コロナ対策として各10万円を支給する、というやつ。令和3年11月19日閣議決定(された「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策」の中に含まれていた政策)。

*4:なお、この間の4/15に、町は、誤振込に関する記者会見を行った。

*5:SNSだと、その他、誤振込と破産財団なんかも話題になりましたねそういえば。あと何かあったっけかな…。

*6:繰り返しますが、堂々と言うべき・言わなければならない話ですからね。

*7:いろんな相談者・依頼者の方々を見ている我々弁護士としてはね…。

*8:まぁ、弁護士費用を払うにも税金が元なわけですから、それを節約しつつできる範囲ギリギリのことをやったのだ、という話にはなるんでしょうけどね。